会社の「中」にいると、見えないことがある。日本経済新聞社を退職し、独立してフリーのジャーナリストになった大西康之氏は「新聞記者だから会ってくれる人もいれば、記者だから会わない人もいる。ハイヤーでどこにでも行けると思っていた頃に見ていた世界が、どれだけ狭かったか」と語る。書評サイト「HONZ」代表の成毛眞氏が聞いた――。

※本稿は、成毛眞『決断』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

会社で「浮いている」と家族はわかっていた

書評サイト「HONZ」代表の成毛眞氏(撮影=中央公論新社写真部)

【成毛】日経新聞の記者から独立して、何年ですか。

【大西】2016年3月に辞めたので、フリーになって4年目ですね。

【成毛】フリーになるという「決断」をした際、御家族の反応はどうでした。

【大西】子どもが3人いるんですが、上2人はすでに就職していて、一番下が今年高校に入学したばかり。まあ、家計としては回るかなっていう計算もあって。妻も子どもも「この人、定年までこの会社でもたないな」と、かなり前から感じていたようですし。

【成毛】会社で「浮いている」ことを家族はわかっていたと。

【大西】ええ。我慢して会社勤めをしているのは理解していて、いつ音をあげるだろう、と思っていたようです。それで、妻に相談したら、「どんな未来を考えているのか」「収支はどうなるのか」と。それで「こんな感じになりそうです」と伝えたら、「あなたの甲斐性だったら、そんなもんでしょうね」みたいな。特に反対もなく、通っちゃった。

独立2年で辞めたときとほぼ同じ収入に

【成毛】面白いですね。でも日本を代表する新聞社だし、辞めるときはそれなりの給与をもらっていたんでしょ?

【大西】そうですね。ただ、独立する前、すでに『文藝春秋』に寄稿させてもらっていたりして。10ページ書けば、そこそこまとまったお金になる。これをベースに、毎月オンラインメディアや雑誌に何本か書いて、年に何冊か本を出せば、とりあえず現状維持くらいには持っていけそうだなと。実際、独立して2年目で、辞めたときと同じくらいになりました。

【成毛】それはすごい。フリーで、日経新聞の給料分を稼ぐ人なんてほとんどいない。

【大西】出した本がたまたま売れた、ということもありましたが。実際、3年目はさぼっていたし、独立前の収入に届いていません。年に本2冊、月に何本かルーティンの原稿を書いて、それで計算ではトントンくらいになる。本が当たれば、アップサイドがあるぞ、というのが今のモデルでしょうか。