山中に引っ越した理由は「安くて広い」だけだった

現在の阿蘇郡西原村に移転したのは1992年のことだ。引っ越した理由は、安くて広い。それだけだった。

熊本市内に比べると市場は小さいが、その頃には奎一が開拓した外商が売上の大半を支えるまでに伸びていた。西原村から熊本市内や周辺市町村へは車で1時間ほど。十分に通える場所だった。

数ある書店の中で「竹とんぼ」の外商が選ばれるのは、なぜだったのだろう。楠緒は奎一の仕事を「丁寧、早い、正確」と説明した。家族経営のこの店では規模の大きな書店のような分業ではないため、仕事の流れが短く速い。それが強みになったという。

もう立ち行かない、と思った局面は一度ならずあった。にもかかわらず、今もなお「竹とんぼ」が阿蘇の山の中腹にあり続ける理由は、楠緒が本を選ぶことについて勉強を繰り返した「厳しさ」にある。

楠緒が力を込めて振り返るのは、児童文学の翻訳家で絵本研究に携わる山本まつよ氏の勉強会での経験だ。同じテーマで描かれている絵本を比べながら、絵本での表現のあり方を徹底的に議論し、考えた。容易ではない時間の積み重ねは楠緒を鍛えた。

「大切な人を失うこと」について2冊を読み比べる

「2冊の本を比べて読んでみましょうか」

楠緒は「大切な人を失うこと」をテーマに描かれた2冊の絵本をテーブルに並べた。1冊めは賢く仲間から慕われていたアナグマの死後、仲間たちがアナグマの不在を悲しみながらも、アナグマが遺してくれたやさしさや思い出に心がやすらぎ、生きていこうという思いを新たにするという物語だ。

楠緒は静かに淡々と読んでいく。抑制のきいた声を聞いているうちに温かい気持ちになった。

読み聞かせをする小宮楠緒。その言葉にどんどん引き込まれていく。(撮影=三宅玲子)

続けて2冊めが始まった。それは、家に紛れ込んだ赤ちゃんドラゴンをお世話する女の子が、ある日、成長して飛び立ったドラゴンを見送ったあと、喪失の痛みとかけがえのない思い出に涙を流すという物語だった。

人は誰かと出会い、豊かな時間を過ごし、いつか別れる。別れの悲しみは胸をえぐるが、耐えなくてはならない。ドラゴンと深い愛情でつながった後に訪れる別れは、人生の不条理を残酷なほどに浮き立たせる。

アナグマの物語も十分に魅力的な絵本なのだが、ドラゴンと少女の物語を聞いていると、喪失の痛みの記憶がよみがえり、心を揺さぶられる。ドラゴンは心の奥深くに差し込んでくるのだ。

「大人の心にも届く物語でしょう?」

まぶたを赤くした私に楠緒が言った。