熊本に戻るまでは東京で出版社に勤めていた

9時半、店の奥のダイニングテーブルで小宮へのインタビューを始めようとしていると、恰幅のいい紳士が隣の部屋から現れた。夫の小宮奎一(こみや・けいいち 75)だ。

「ふたりで書店を始めて今年で38年になりますよ」

仕事に出かける前のひととき、奎一がそう言って楠緒の隣に腰をおろした。

店を構えたのは1981年。熊本市の水前寺公園にほど近い小さなテナントが振り出しだ。それまで、ふたりは東京で出版の仕事をしていた。夫は中堅学術系出版社の書籍営業、妻は大手出版社の校閲だった。

「竹とんぼ」の外観。(撮影=三宅玲子)

終戦2年前、東京都墨田区で大工の棟梁の家に生まれた奎一は、戦後の混乱期に困窮を体験し、社会の不平等に対し問題意識を持った。小5のときには貸本屋に通い詰めてディケンズの「二都物語」を立ち読みで読み通した。文学や思想、哲学など人生を問う本を愛したが、教育や実務に関する出版物を営業しなければならない。敏腕営業マンだったが、働きがいを見出せなくなっていった。

「本当のことを言えば、サラリーマンが楽なんです。毎月決まった額がいただけて、おまけにボーナスまでもらえる。出版社のお給料は悪くありませんし。でも、夫がつらそうなのはわかりました。だから熊本に帰って、本屋を始めようと」

楠緒がこう奎一の言葉を引き取った。

「児童書だけの書店なんてもつはずがない」

子ども専門の本屋をと考えたのに、深い理由があったわけではない。子どもの本なら選べるだろうと思った、そのくらいの感覚だった。

「とにかく食べていかなくちゃならない。資金もスペースも限られてるんだから、これという特徴がなくちゃと思ったんです」(楠緒)

だが、子どもの本ならなんでもというわけにはいかない。ふたりは県立図書館に足を運び、児童書の棚を眺め、「自分たちの書店ではこの本を扱いたい」と思う本を選び、リストをつくり、出版社にかけあった。

書店経営はしょっぱなからつまずいた。出版社と書店の間には取次と呼ばれる問屋が介在する。取次を通さなければ本屋はできない。ところが、順調に進んでいた大手取次との契約交渉が、最後の詰めの段階で他店の横やりにより破談になった。

別の取次との交渉では「児童書だけの書店なんてもつはずがない」と強く言われ、「雑誌を取り扱うこと」という条件をのんでようやく開店にこぎ着けた。