欧米で宿った夢「中食産業」の創造

<strong>岩田弘三</strong> いわた・こうぞう●1940年、兵庫県生まれ。兵庫県立東神戸高校中退。65年神戸市に西洋料理店「レストランフック」を開業。72年ロック・フィールドを設立、社長に就任。2000年に東証・大証一部上場を果たした。同社の年間売上高は457億円(09年度)、店舗数は302(10年5月1日現在)。
岩田弘三 いわた・こうぞう●1940年、兵庫県生まれ。兵庫県立東神戸高校中退。65年神戸市に西洋料理店「レストランフック」を開業。72年ロック・フィールドを設立、社長に就任。2000年に東証・大証一部上場を果たした。同社の年間売上高は457億円(09年度)、店舗数は302(10年5月1日現在)。

神戸で会社を設立して8年目の1980年初め、高島屋の幹部に誘われ、初めて首都圏に高級総菜店を出店する。相手は「君のところの未来は、絶対、東京にある。高島屋にも、デパ地下が強くなることが必要だ」と言い切った。背中を押され、3月に横浜高島屋、5月に東京の高島屋日本橋店の地下売り場に出店する。どちらも、関西で店を出していた「ガストロノミ」の名を掲げた。料理と文化の関係をきわめる、といった意味を持つフランス語だ。

横浜で、初日から驚いた。神戸で15万円ほどだった1日の売り上げが、180万円にもなった。首都圏の人々は、新しい「食」への反応が早く、強い。多様な富裕層がいて、美味しいものへのお金のかけ方も、予想をはるかに超えている。「これは、とんでもない市場だ。いずれ、東京のデパ地下へ本格的に進出しよう」と決めた。40歳になる年の春だった。