1年弱で千時間中国への再挑戦

<strong>志賀俊之 しが・としゆき</strong>●1953年、和歌山県生まれ。76年大阪府立大学経済学部卒業、日産自動車入社。91年アジア大洋州事業本部ジャカルタ事務所長、99年企画室長兼アライアンス推進室長、2000年常務執行役員。05年より現職。10年より日本自動車工業会会長も務める。
日産自動車COO 志賀俊之 しが・としゆき●1953年、和歌山県生まれ。76年大阪府立大学経済学部卒業、日産自動車入社。91年アジア大洋州事業本部ジャカルタ事務所長、99年企画室長兼アライアンス推進室長、2000年常務執行役員。05年より現職。10年より日本自動車工業会会長も務める。

2000年4月、東京都江東区の公民館の大部屋を借りて、部下たち約10人を集めた。大リストラが断行され、使える会社施設がみつからなかった。がらんとした部屋に、ついたて型の掲示板を持ち込み、模造紙を貼り、議論を進めていく。紙には中国大陸の図が書かれ、地名や自動車会社名が次々に書き込まれた。

合宿のテーマは「中国進出を、どうするか?」。現地生産をするならどの企業と組み、どこに合弁工場をつくり、どの車種を投入するか。10年後の生産台数、市場シェアは、どのくらい見込めるか。議論は白熱し、深夜まで及ぶ。いったん解散して、翌日も続けた。46歳。常務執行役員に昇格し、欧米以外の海外担当になったばかりだった。

それまで約3年、企画室で仏ルノーとの提携や経営再建に没頭した。2兆8000億円と連結売上高の半額近い負債を抱え、苦境が続いた。でも、CEOとなったカルロス・ゴーン氏の改革が功を奏し、薄日が差してきた。性分から言えば、そうした再建計画をつくるより、営業など現場の実務のほうが合っている。担当替えを内示され、「よし、アジアでやるぞ」と自身に気合を入れた。