ジャカルタでの「最後のチャンス」

<strong>志賀俊之</strong> しが・としゆき●1953年、和歌山県生まれ。76年大阪府立大学経済学部卒業、日産自動車入社。91年アジア大洋州事業本部ジャカルタ事務所長、99年企画室長兼アライアンス推進室長、2000年常務執行役員。05年より現職。10年より日本自動車工業会会長も務める。
日産自動車COO 志賀俊之 しが・としゆき●1953年、和歌山県生まれ。76年大阪府立大学経済学部卒業、日産自動車入社。91年アジア大洋州事業本部ジャカルタ事務所長、99年企画室長兼アライアンス推進室長、2000年常務執行役員。05年より現職。10年より日本自動車工業会会長も務める。

1994年10月17日夜、ジャカルタを飛び立つ。現地の事務所長として、本社にインドネシアで生産を始める計画を出していた。翌18日朝の経営会議にかかる。アジア大洋州営業部でインドネシアの担当になってから7年3カ月。現地生産は何度も挫折し、41歳になっていた。「これが、最後のチャンス」。そう覚悟して、機中で眠る。

出かける前、妻に言った。「ジャカルタに来て3年たったし、また計画が否決されたら、もう引き上げよう」。妻は、不服そうな顔をした。ジャカルタでの日々に、満足していたのだ。それを振り切るように「計画が承認されたら、準備のために日本に残る。でも、ダメならすぐに戻るから、荷物をまとめて日本へ帰ろう。辞令はないが、ここにいても仕方ない」と言い残す。本気だった。