改善ではなく一気に山頂を狙う

「不得志獨行其道」(志を得ざれば独り其の道を行う)――志を得ず、たとえ自分の思想が受け入れられなくとも、屈することなく、ひとり正しいと思うことを行っていく、との意味だ。中国の古典『孟子』にある言葉で、信じた道を進み続ける大切さを説く。前号で紹介した中国進出でも同じだが、夢を追い続ける志賀流は、これと同じ精神だ。

職場の拍手で迎えられ、プロジェクトが動き出し、96年7月に現地生産が始まった。車種は7人乗りの「テラノ」。年産5千台の計画で順調に滑り出すのを見届け、翌春、本社の社長室へ異動する。ところが、その夏、アジア通貨危機が勃発、インドネシア経済も一気に縮小し、工場は休眠状態へ追い込まれた。400人の従業員は解雇される。

2007年4月、ジャカルタを訪ねた。「グランド・リヴィナ」を発売した記念式典に出る。2000年に欧米以外の海外担当常務となり、中国進出への再挑戦とともに、インドネシア生産の復活も進めた。「ゴーン改革」が功を奏し、余力が生まれ、01年6月に工場を再稼働させたとき、解雇された従業員の大半が復職してくれた。彼らと会えることを楽しみに、式典会場へ向かう。

会場へ入って、驚いた。旧知の人が顔をそろえ、大きな拍手で迎えてくれた。本人には内容を知らせず、びっくりさせようという「サプライズパーティー」だ。たった2人の事務所で過ごした女性秘書がいる。メードだった女性も運転手も、コーラス仲間や競争相手の幹部たちも、集まっている。かつて事務所の一角を借りた丸紅の人が、また赴任していて、笑顔で迎えてくれた。

うれしくて、挨拶でインドネシア語が口から出た。

「ティダ・アパアパ」。「大丈夫だよ、なるようになる」という意味だ。駐在したころの口癖で、何か問題が生じたときは、ともかく「ティダ・アパアパ」だった。それを思い出してくれたのか、パーティー会場は沸いた。

今度は順調に販売台数を伸ばし、09年には小型車と合わせて年間で2万台を突破した。13年までに9万台にして、市場シェアを10%に上げる計画もできた。シェアの10%は、91年に経営会議で否決された進出計画に盛り込んだ数字だ。

日本では、新卒者をまとめて採用し、数年かけて仕事の仕方を覚えさせ、係長から課長へと育成する企業が大半だ。仕事の仕方を標準化し、その改善を積み重ねていく手法は、日本企業の強みの一つだ。だが、日産はダイナミックな変革を進めるために、中途採用に積極的で、抜擢人事も多い。そうなると、そうした企業文化は変わる。でも、そこに固執していると、変革はできない。日産も「獨行其道」で行く。

昨年12月、地球環境対応の切り札となる電気自動車「リーフ」を発売した。開発は、前例のない進め方で、一気に山頂を目指させた。開発陣は苦闘したが、従来のような積み重ね文化だったら、実現できていないだろう。開発陣には「後になって『あのときは、大変だった。でも、乗り越えたよな』と言えるように、いま苦しんでおけ」と言った。

子どものころから「夢」という言葉が好きだ。夢は、簡単に到達できたら、夢ではなくなってしまう。やはり「獨行其道」のときがあってこそ、喜びは大きい。彼らも、いま、それを実感していることだろう。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)