菅官房長官の「支援表明」について首をかしげざるをえない理由

だが、菅官房長官の支援表明については、首をかしげてしまった。

私が3月13日付プレジデントオンラインで「復興後の“新しい街”に寺や神社がない理由」で述べたように、日本における宗教施設は「政教分離の原則」によって公的資金が投入できない現状がある。

ノートルダム大聖堂の場合、海外の宗教施設だから税金を使っても問題ないという解釈だろう。だが、宗教は国境の概念がない。日本が国家として、他国の宗教支援ができるという解釈は、これまでの日本の宗教政策の流れの中では矛盾が生じる部分があるようにも思う。一方で、ぜひともノートルダム大聖堂の支援をきっかけにして、日本の「政教分離」の議論につなげていってもらいたい、とも考える。今回の火災は、日本における政教分離政策にも一石を投じるものになると思う。

日本以上に政教分離の原則が貫かれているフランス

フランスは、信仰の自由を保障すると同時に、厳格な政教分離(ライシテ)を敷く国家である。フランスはそもそもカトリック国家であったが、1905年に政教分離法が制定され、日本の政教分離政策にも影響を与えている。

政教分離法 第2条「国家はいかなる礼拝に対しても公認せず、賃金を支払わず、補助金を交付しない」(以下略)

きっかけは1789年以降のフランス革命である。それまでフランスでは、一部の聖職者は身分保障や租税免除などの特権を得て、国を支配(政教一致)。教会は戸籍管理などを担っていた。その構図は、徳川幕府における檀家制度に似ている。一方で、ユダヤ教やプロテスタントに対する迫害などが生じていた。

特権階級への財政支出などが災いし、財政難に陥っていたフランスでは、怒りが頂点に達した市民らが蜂起。自由・平等・博愛の精神をスローガンに掲げ、万民が暮らしやすい国家がつくられていく。その流れの中でとくに信教の自由(信教の自由を前提とする政教分離)が規定され、カトリック以外の宗派であっても個人の意思として保障されるべきものとされた。そうして、定められたのが先述の政教分離法だ。

これは、いかなる者であっても宗教の違いによる差別を受けることのないとする精神に基づくものである。