「トップランナーの背中が見えているうちは休める」
そんなさんまも一度だけ「まどろむ」ように仕事を仕事量が落ちたことがある。それは80年代末から90年代始めにかけて。ちょうど「オレたちひょうきん族」が終わる前後だ。
たけしやタモリら先輩との関係性で笑いを取る「コバンザメ」キャラから脱却し、自らが“座長”として番組を回す役割への転換期でもあった。それまでトップだったNHKの「好きなタレント調査」で1位から陥落。ほぼ唯一のさんまの“低迷期”ともいえる。
しかし、この低迷は、さんま自身が自らの意思で仕事をセーブしていた側面もあった。なぜなら大竹しのぶと結婚し、家族ができたからだ。家庭優先を自ら選んだのだ。その頃も「トップランナーやと思ってる人の背中が見えてたから安心してた。背中が見えているうちは休める」(前出・『さんま&女芸人お泊まり会』より)と冷静だった。
けれど、1992年に離婚。そこから皮肉にもさんまの“逆襲”が始まった。莫大な借金を背負ったさんまは選択を迫られる。
「自殺するか、しゃべるか」(2014年3月30日「千原ジュニア40歳LIVE」にて)
ハングリーさが出るところに気持ちを置く
答えは簡単だった。もう「まどろむ」暇も理由もない。「生きてるだけで丸もうけ」というのはあまりにも有名なさんまの座右の銘だ。どんな逆境に立たされても生きていればそれだけでいい、「つらいときでも笑ってられる」そんな心持ちをうたった言葉だろう。
「僕はその時々でハングリーさが出る位置に気持ちを置こうとしてますから、その究極が『生きてるだけで丸もうけ』という言葉に繋がると思う」(太田出版『hon・nin』vol.11より)
それを体現するようにさんまは、どんな番組でも全身を使って汗だくになりながらしゃべり続け、身体を振り乱して「クァーッ」と声をからして笑っている。彼が手を抜いている姿を目にした記憶がない。「笑いは戦場や」という自身の言葉どおり、共演者と、スタッフと、そして視聴者と常に戦っている。
1978年生まれ。ライター。ペンネームは「てれびのスキマ」。『週刊文春』「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』など。