「ゆっくり行かせてもらうわ」

やがて、ラジオやテレビに出演し始めると、さんまの才能が一気に開花した。瞬く間に関西では「西の郷ひろみ」などと呼ばれるアイドル的人気を得ることになる。だが、折しも時代は「MANZAIブーム」を迎える。漫才コンビが持て囃され、ピン芸人であるさんまは苦しむことになる。同期の紳助も紳助・竜介として人気絶頂になっていた。

戸部田誠『売れるには理由がある』(太田出版)

けれど、さんまは「どんどん先を走ればええ。俺はお前らが息切れして倒れたとこに、ゆっくり行かせてもらうわ」(常松裕明/幻冬舎『笑う奴ほどよく眠る』より)と冷静だった。

その言葉どおり、「MANZAIブーム」が収束し、アイドル的人気だったコンビたちと入れ替わるようにさんまは、テレビの主役に躍り出ていく。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)でも、番組開始当初、クレジットも最後に紹介されたさんまだったが、次第に“主役”のひとりとなっていき、1982年10月以降、たけしと並び、最初にクレジットされるようになっていった。

「まどろむ」の意味がわからなかった

1984年から『笑っていいとも!』(フジテレビ)のレギュラーに起用されたさんまは、タモリとのフリートーク、つまり雑談のコーナーを作ってほしいとスタッフに提案した。放送終了後の後説で交わすフリートークなどで手応えを掴んでいたからだ。

だが、「成立はしても視聴率は取れないだろう」と大反対される。それでもさんまは「テレビの歴史上ないことだからこそやらしてくれ」と譲らなかった。そうして生まれたのが、その後約11年にわたってタイトルを変えながら続いたふたりだけの台本なしの前代未聞の雑談コーナーだったのだ。さんまの脳裏には「雑談を芸にできたら一流や」という師匠の口癖があったに違いない。

このコーナーでさんまはタモリから「この男はまどろむことも知らないし」と言われた。そのとき、さんまは心の中で、「何や? 『まどろむ』って何や?」と頭を巡らせたという(2018年5月26日『さんま&女芸人お泊まり会』フジテレビにて)。さんまの辞書に「まどろむ」なんて言葉はなかったのだ。それくらい、さんまは生き急ぐようにしゃべり続け、芸能界を突っ走り続けてきた。