なぜ本田靖春は一貫して「戦後」をテーマにしていたか

後藤さんは「本田さんが一貫して描いてきたものが『戦後』だった」と指摘する。『拗ね者たらん』ではそれを〈戦後の原液〉と呼び、〈本田作品を読み込むなかで、このような戦後的精神は時代を超えて継承されるに足るものと思えた〉と書いた。

「本田さんの『戦後』というテーマは経済成長以前、昭和20年代から30年代のことです。当時の日本では、傷病兵が町で物乞いをしている姿もよく見かけました。生々しい戦争の傷跡や貧困が目に見える形で残り、社会全体が山のように問題を抱えていたわけです。朝鮮からの引き揚げ者だった本田さんにとっては、よりその問題が際立って見えたことでしょう」

「彼の作品を順々に読んでいくと、戦後の持っていた自由や平和、民主主義といった理念への思いが、彼の裡(うち)で年をとるに連れてより強くなっていくように見えます。おそらく、彼は読売を辞めて作家になったとき、自らの作家たる所以を問い直したに違いありません。そのとき、自分の中にあった揺るぎないものが『戦後』だった。彼が作品を通して描いたそんな『良き戦後』への思いは、それが遠くなり、失われた豊かな時代にこそ、あらためて見直される価値があると私は思っています」

インタビューに応える後藤正治さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

常に「これでいいのか」と問いを投げ返していた

後藤さんは「本田さんの作品は、決して多く読者を得てきたわけではない」と続ける。だが、一方でその作品には「時代をまたいでいく力が間違いなくある」と言った。

「この本(『拗ね者たらん』)を書いた後、30代や40代の新聞記者や放送記者に『実は自分も本田さんのファンなんです』と言われることがあるんです。彼らが本田さんの作品に引き付けられるのは、そこにジャーナリズムの大前提、権力を監視するジャーナリズムのイロハがあるからでもあるでしょう」

「本田さんは作家であると同時に、生涯“社会部記者”でもあった。“社会の木鐸(ぼくたく)”であろうとしたわけです。社会に対して、常に『これでいいのか』と問いを投げ返していく。そんなジャーナリズムの役割を全うしようとする姿勢は一貫していました」

「かつては確かにあったそのジャーナリズムの大前提が崩れかけているように感じられる時代だからこそ、本田さんの作品には読まれ直される価値があるのではないでしょうか。例えば、この社会に問題意識を持った記者や書き手が何かを書こうとしたとき、本棚を見渡すと本田靖春の作品がある。彼の作品はそのように、遠くに輝く星の一つであり続けていくと私は思っています」

後藤 正治(ごとう・まさはる)
ノンフィクション作家
1946年、京都市に生まれる。『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞、『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞、『清冽』で桑原武夫学芸賞受賞。近著に『天人』『奇蹟の画家』(ともに講談社文庫)、『言葉を旅する』(潮出版社)、『後藤正治ノンフィクション集』(全10巻、ブレーンセンター)など。
稲泉 連(いないずみ・れん)
ノンフィクション作家
1979年生まれ。2002年早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。著書に『こんな家に住んできた 17人の越境者たち』(文藝春秋)、『豊田章男が愛したテストドライバー』(小学館)、『ドキュメント 豪雨災害』(岩波新書)などがある。
(撮影=プレジデントオンライン編集部)
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