海外で活躍した日本のスポーツ選手は、現地で何を学んできたのか。メジャーリーグ6年間で7球団をわたり歩いたヤクルトスワローズ・青木宣親氏は「最大の学びはマインドコントロールだった」という。イーオンの三宅義和社長が、青木氏にそのわけを聞いた――。
東京ヤクルトスワローズの青木宣親選手

メジャー6年で慣れたこと、慣れなかったこと

【三宅義和氏(イーオン社長)】日本の野球とアメリカのベースボールは大きく違うと聞きます。たとえばベンチの雰囲気なども日本とは違うのですか?

【青木宣親氏(プロ野球選手)】全然、違いますね。まずメジャーのベンチはそこら中にヒマワリの種が落ちていて、清潔じゃない。そのおかげで日本の素晴らしさも感じました。やはり海外に行くと自分が育ってきた環境が当たり前ではなかったことに気づかされますよね。日本の良さといいますか。

【三宅】メジャーだと引き分けがないので深夜まで試合が続きますよね。

【青木】そうそう。そこは本当に大変でした。深夜まで試合をしてその後に移動があって、さらに時差があると、身体的にとんでもなくきついんです。時差が2時間違うだけでも起きる時間はだいたい同じですから、けっこう響くんです。だから試合をしていても夜9時くらいになると身体が急に重くなることもありました。メジャーで6年間やりましたけど、それだけは慣れなかったです。

なりふり構わずチームの和に飛び込む勇気

【三宅】では体調管理が重要になると思いますが、どのように気を遣われましたか?

【青木】やはり食事ですね。日本人なのでお米を食べないと力が出ないような気がしていて、1日1回はお米を食べるようにしていました。

ホームゲームのときは必ず奥さんにおにぎりを作ってもらっていたのでいいのですけど、問題なのが遠征のとき。とくに僕が3年間在籍した中地区(アメリカ中西部および南部)は日本人コミュニティが少なく、日本食レストランもあまりないので困りましたね。だから結構お世話になったのが韓国料理です。アメリカのどの都市にも韓国料理と中華料理はあるんですけど、中華料理はどうしても当たりハズレが大きいじゃないですか。

【三宅】青木さんはメジャーで7つのチームをわたり歩いたわけですが、新しい環境に慣れるコツというのは何かありますか?

【青木】どれもチームのカラーは違いましたし、強いチームと弱いチームも両方経験しました。基本姿勢としては積極的に自分をアピールするとか、どんどんチームの和に飛び込んでいくようにしていました。めちゃくちゃな英語でもいいので。