「アートを通したまちづくり」を掲げた

こうした危機的な状況に地元の住民は2002年に風俗拡大防止委員会を結成。翌年には初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会となる。一般に町内会は商店街もそうだが、隣近所とはあまり連携したがらない。隣接する町内会、商店街ほど仲が悪いケースさえ見聞きするが、黄金町の場合、問題は単独のまちで処するにはことが大きすぎた。また、過去に麻薬の問題で連携したり、20年以上前から大岡川の桜まつりを一緒にやってきたことなどの経緯もあり、以降、3つのまちは一丸となって問題に取り組んできた。

中川寛子『東京格差 浮かぶ街・沈む街』(ちくま新書)

ちょうど、横浜市が横浜開港150周年イベント「開国博Y150」を控えていた時期でもあり、住民同様、行政も危機感を抱いていたのだろう、それまで住民主体だったまちづくりに神奈川県警本部、伊勢佐木署が加わり、2004年12月には違法風俗店の一斉摘発が行われた。翌年からは24時間体制のパトロールも始まり、風俗店は激減。

同時に荒れたまちを再生するため、アートを通したまちづくりというコンセプトが掲げられた。最初のイベントは2008年に開かれた黄金町バザールである。これは高架下に新しく作られた黄金スタジオ、日ノ出スタジオと横浜市が借上げを進めている違法風俗店跡を主な会場としたアートイベントで、その後、毎年秋に開催され、2017年には10回目を迎えた。

年に一度の黄金町バザール以外にも様々なイベントが行われている。年4回不定期に高架下に作られたかいだん広場で行われる食とアートのイベント、「のきさきアートフェア」。同日にはかいだん広場に隣接する高架下スタジオSite‐D集会場で、地元三町の商店主が結集した初黄日商店会(はつこひしょうてんかい)がワンデイマルシェの「はつこひ市場」を開いている。

10年近い努力の積み上げでイメージを回復

それ以外にも、この地に居住するアーティストが先生になっての「黄金町芸術学校」や同様に地元の人が先生になっての「まちゼミ」、各種展覧会やワークショップなども頻繁に開かれ、人の流れ、まちの雰囲気は明らかに変わってきた。最近ではアートのまちという言葉も聞かれるようになり、徐々にかつての暗黒街のイメージは薄れつつある。2018年には高架下に車輪のついたタイニーハウス(分かりやすく言えば小屋)を利用した宿泊施設も登場。若い人が集まるようになっている。

こうした外から見えるイベント以外に、まちでは地道な努力が積み上げられてきた。町内会、PTA、行政、京浜急行、警察そしてまちに関わるNPO関係者が毎月1回必ず定例会を開き、まちの問題を話し合っており、月に1回の防犯パトロールも欠かさないというのである。それを10年近く続けて、今があると思うと、その粘り強さに頭が下がると同時に毀損されたイメージの回復の難しさを実感する。

実際の黄金町では今も増え続ける空き家、残存する貧困ビジネス、アートのまちとしての評価の向上、これまで活動を支えてきた町内会メンバーの高齢化などまだまだ問題を抱えている。だが、それは今のところ、見えていないだけで他の多くのまちも抱えているはず。そこに立ち向かえるかどうか。一丸とならざるを得なかった小さなまちのほうが最終的に強いのかもしれないと思うが、どうだろうか。

中川寛子(なかがわ・ひろこ)
住まいと街の解説者
1960年生まれ。オールアバウト「住みやすい街選び」ガイド。不動産一筋に30余年、買う、借りる、貸す、売る、投資するなど、それぞれの立場を踏まえた上での不動産市場の変化の解説で人気。著書に『解決! 空き家問題』(ちくま新書)、『住まいのプロが教える家を買いたい人の本』(翔泳社)、『「こんな家」に住んではいけない!』(マガジンハウス)など。
(写真=iStock.com)
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