だが、それは杞憂(きゆう)だった。竜王戦敗退後、日本将棋連盟から意向を問われた羽生は、前竜王でも永世称号でもなく、九段を希望したのだ。それは私が長年追いかけてきた羽生らしい選択でもあった。

世代交代を迫られる中で

昨年9月、私は『超越の棋士 羽生善治との対話』(講談社)という書籍を上梓した。2010年の竜王戦から足掛け8年、9回にわたって行ってきた羽生へのロングインタビューを中心に、稀代の人物の実像に迫ったノンフィクションである。

取材を始めた10年当時の羽生は、14歳下の渡辺(当時竜王)に世代交代を迫られている状況にあった。だが羽生は、死闘を繰り広げながら、勝つことでその渡辺との差を徐々に広げていった。やがて、14年には3度目の名人復位を果たし、43歳にしてタイトルの過半数を占める四冠王となる。加齢による衰えを感じさせない羽生に、私は、これまでの将棋史にあるような世代交代の図式は当てはまらないのではないか、とさえ思った。

ところが、40代後半に入った16年の春から異変が生じていく。棋士人生初の公式戦6連敗を喫し、名人位を当時27歳の佐藤天彦に奪われ、その後も20代の若手棋士にタイトルを奪われることが続いた。それだけでなく、常に7割前後を誇っていた年度の勝率が16年度に初めて6割を切ってから、3年続けて5割台に落ち込んでいる。年齢からすれば5割をキープしているのはすごいことだが、羽生にしては「低迷」が続いているのだ。

「AIの影響を受けた戦術をつかみきれていない」

その要因について、拙著の中で羽生はこう自己分析している。

「現代将棋にきちんと対応できていない。どんどん変わる戦術に巧くマッチできていないところは、間違いなくあります。AI(人工知能)の影響を強く受けた新たな戦術をつかみきれていない。その根本にある発想や考え方を理解することが、簡単にはいかないんです」

また、圧倒的な強さを誇ってきた終盤の競り合いに負けることが増えた要因の一つにも、AIの影響を挙げた。

「以前よりも難易度の高い局面が増えているんです。全体のレベルが上がっていることと、難しい局面が増えて対局者にミスが増え、さらに難しくなっていることもあります」

若手棋士を中心に、AIの影響によって劇的な進化を続ける現代将棋への対応に苦闘しているのだ。