ゴーン氏「仏の出来事は日産に何ら影響を与えてはならない」

その後もルノーからは日産に関係強化を求める動きが続いた。そのたびにゴーン氏は防波堤となってくれた。長期保有の株主に2倍の議決権を与える「フロランジュ法」(2014年春施行)で、フランス政府がルノー、そして日産への発言力を高めようとしたときにもゴーン氏は日産側に立った。

ゴーン氏は2017年1月に日経新聞で掲載された「私の履歴書」に「フランスの出来事は日産に何ら影響を与えてはならない」という固い信念があったと書いた。この思いはゴーン氏以外の日産の経営陣も同じだった。

日産の西川広人社長はゴーン氏が逮捕された時の会見で、ゴーン氏が日産とルノーの経営トップとなった2005年が大きな分岐点だったと振り返った。名実ともに権力がゴーン氏に集中し、ゴーン氏の圧政が強まった。社内の不満も徐々に膨らんで行ったが、表ざたになることはなかったし、西川氏も「ゴーンチルドレン」としてゴーン氏に従った。

もはや「圧政」を我慢する理由はなくなった

その理由はゴーン氏がルノーやフランス政府の利益を最優先していなかったからだ。依然として日産をゴーン氏の「独立王国」としてルノー、フランス政府とは一線を画している方がゴーン氏は経済的利益を得られた。その立場をゴーン氏が取っている限り、日産経営陣にとっても好都合だったと言える。

その関係が崩れたのは今年の春以降だった。ゴーン氏のルノーCEOの任期切れを前にしてマクロン大統領がゴーン氏に圧力をかけた。そこでゴーン氏のCEOの任期を2018年から2022年まで延期する見返りに、ゴーン氏は日産とルノーとの統合案を飲んだからだ。

その時点でルノーと一定の距離を置くという一点で一致していた利害は崩れてしまった。日産経営陣が、踏まれても踏まれても下駄にくっ付いている「下駄の雪」のように、ゴーン氏の圧政を我慢する理由はなくなったのだ。

19年間にわたって一致していたゴーン氏と日産経営陣の利害関係もゴーン氏のこの春からの心変わりで崩れてしまったのだが、現場レベルでも我慢の限界点に達しつつあったようだ。