“ゴーン君臨”の背景となった「もう一つの統合構想」

カルロス・ゴーン氏と日産自動車の経営陣が抜き差しならぬ関係になったのは今年の春以降だった。ゴーン氏がルノーとの統合に傾き始め、9月の取締役会で「今後のアライアンスを深める議論を進めたい」と統合に動き出したことがダメ押しとなった。

だがゴーン氏の「圧政」は最近始まったわけではない。なぜ19年という長きにわたり、ゴーン氏は日産に君臨できたのか。もう一つの統合構想を糸口にひもといてみたい。

2018年12月17日、記者会見する日産自動車の西川広人社長(左端)。西川社長は「ゴーンチルドレン」と呼ばれてきた。(写真=時事通信フォト)

ゴーン氏が日産に送り込まれた1999年春から1年ほど過ぎた2000年。エグゼクティブコミッティー(経営会議)の席上で、社長に昇格していたゴーン氏からこんな問いかけがあった。

「シュバイツァーさん(当時のルノー会長兼CEO)から日産との統合を打診されました。皆さんはどう思いますか」

事実上、ゴーン氏がルノーとの統合の防波堤に

ルノーとの提携交渉をまとめた塙義一会長(2015年に死去)は統合案に前向きだったという。副社長や他の役員も何人かが「3年後をめどに検討してもいい」などと発言した。その場にいた元役員は「ゴーン氏は自分の考えは一切言わなかった。複数の役員が統合に賛成意見を述べた」と言う。

それ以降、ゴーン氏は経営会議で統合案を持ち出さなかった。数か月後、ゴーン氏はこう言った。「統合案はなくなった。シュバイツァーさんも納得した」

元役員は当時を振り返る。「ゴーン氏がルノー側の立場で日産の経営を見ているのか、日産の立場で見ているのか最初は疑心暗鬼だった。だが統合案が持ち出され、その後、なくなった一件以降、ゴーン氏は日産側の立場で経営を考えていると分かったのです。それ以降、日産とゴーン氏の利害は一致した」

当時のゴーン氏の考えや日産経営陣らの振る舞いを理解するには少し説明が必要だ。