「私、この学校の卒業生です」と言えない

歴史は長いが、人気が低迷していた2006年、明秀日立の理事長と校長に新しい人物が就いた。小野勝久理事長と中原昭・前校長(現在は同校の学事アドバイザー)だ。

小野氏は、元日立電鉄常務などを務めた後、日立市教育委員長に転じ、同学園理事長に就いた。当時、全日制の生徒総数は700人台で、累積赤字も膨らんでいた。地元では「教育委員長自ら、火中の栗を拾わされた」と言われた。就任直後、ある出来事に遭遇する。

「地元で活躍する女性経営者を講演会講師に招き、懇談時に、ふと『どちらの学校のご出身ですか?』と聞いても、答えを濁されました。それが、最後の見送りで一緒に廊下を歩いていた時、『理事長、実は私、ここの卒業生なのです』と明かされたのです」(小野氏)

社会で活躍する卒業生ですら、母校を名乗れないという現実。より危機感を高めると、同校の生え抜きである中原校長と二人三脚で改革を進めた。

「校長就任時、建学精神の『明るく 清く 凛々しく』を受け継ぎ、いかに社会貢献する人材を育成するかを腐心しました。最初に行ったのは教職員のベクトル合わせです」(中原氏)

「凡事徹底」を掲げつつ、具体的に実践したのは「校歌を大きな声で歌える」「校章をつける」「さわやかな挨拶ができる」「整理整頓ができる」「感謝の心を持つ」の5つだった。名門校なら自信を持ってつけられる校章も、母校や勤務校に誇りを持てないと躊躇する。

「凡事徹底がされない組織では、優れたビジョンを掲げても実現できません。逆にこれが徹底している学校は、教職員の当事者意識が高まり、学んだ『知識』が独自の『智慧』にも変わります。教員にも、それを踏まえた教育・指導をしてもらいました」(中原氏)

甲子園準優勝の名将が描く「教育像」

硬式野球部が甲子園出場を果たしたのは、前述した金沢監督の力が大きい。大阪府出身の51歳。青森県の光星学院高(当時の校名)の監督時代、春の甲子園で準優勝を果たした。中学時代にヤンチャだった野球少年の教育指導に定評があり「更生学院」と異名をとった。

野球部の寮に貼られた、人格形成をうながす掲示物(筆者撮影)

「ヤンチャな子の多くは家庭環境に問題があります。でもエネルギーがあるので、授業や寮生活で、我慢や協調性を徹底して教えるとチームワークも学び、成長します」と語る。

野球部は全寮制、金沢氏も寮で生活する。生徒はバスで30分離れた高萩キャンパス(高萩市)の寮から日立市内の本校に通学。「監督は“熱男”ですが、みんなを奮い立たせてくれます。高校生活で、いろんな人に感謝する気持ちを持てました」と増田くんは振り返る。