とろ火で続く自尊心をどう扱うか

【田中】複雑な気持ちだったんでしょうね。

田中俊之・山田ルイ53世『中年男ルネッサンス』(イースト新書)

【山田】まあ、「最近調子よかったのに……」とムッとしてしまった僕も、「大丈夫か?」と僕に送らなきゃいけないほどソワソワしていた先輩も、どっちもどっちですけどね。お互いこの歳になって負けが込んできているのに、自尊心がとろ火でずっと続いていて消せないんです。

【田中】でも、その「自尊心のとろ火を消すべきかどうか」って、中年男性にとって非常に難しい話だと思います。もちろん、加齢に従って自制しなきゃいけない側面もありますが、完全に消してしまっていいのかとも思っていて。

【山田】どういうことですか?

【田中】以前に、僕が本当は宮台真司先生のようなマルチな社会学者になりたかった、という話をしましたよね。でも、実は宮台先生のように領域を横断して何でも語るスタイルって、今は難しいんですよ。ほかの研究者から批判されないことを重視しているので、自分の専門領域の狭い範囲しか扱えなくて、大胆なことが言えないんです。悪く言えば、すごくチマチマしているんですね。

他人から叩かれるのを恐れすぎる弊害

【山田】世の中全体が、そんな感じですよね。

【田中】でも、本来の社会学者の使命は、社会の全体像を示すことでもあるのに、それを怖がってみんなやらなくなっている。そうすると、正確で妥当な代わりに、突出した考えが出てこなくなって、社会学全体が活気を失って停滞してしまう危険もあります。

「男性学という特殊分野だからなんとか専門家としての立ち位置を確保しているお前が、宮台先生を目指すなんておこがましい」と僕自身も思いますが、「いつかは……!」という野心も捨ててはいけないのかな、と。

【山田】それは、大きな達成や獲得を目指す、古い“男らしさ”ということにはならないんですか?

【田中】これは男性も女性も関係なく、他人から叩かれることを恐れすぎて「こうありたい自分」にブレーキをかけてしまっている側面もあるのでは、ということです。実はこれに通じるようなことを、社会学者の加藤秀俊先生が『人間関係』(中公新書/1966年)という著書の中ですでに指摘しています。