仕事の幅が広いのは「芸人で負けた」から

【田中】男爵は、40歳を過ぎてからコメンテーターや物書きなどに仕事の幅が広がって、新しい展開を見せていますよね。

【山田】芸人で負けましたからね(笑)。

【田中】そんなことはないですよ。

【山田】いやいや、ほんとに。これははっきりとそうです(笑)。僕だって、できることならバラエティの一線でテレビにずっと出ていたいですよ。それができていないということは、負けたということです。又吉直樹さんが芥川賞を獲られたときに、確か明石家さんまさんが「そんなに頑張って書いて、それぐらいの印税やったら、俺は毎日テレビでしゃべっといたほうがええわ」みたいなことを、もちろんギャグですがおっしゃってて、めちゃくちゃカッコいいなと思って。

【田中】言ってみたいですね(笑)。

「まずは食えるかどうかが僕は一番」

【山田】本業を極めた人の言葉ですよね。能力があれば、僕もそうありたいものですが、ただ負けてる。だから“一発”。いや、勝ってたら、ずっとテレビに出てるんですから。それは明確にわかりますからね。

まだ全然スケジュールが埋まっているような時期でも、「なんか最近、“お笑いの戦場”みたいな番組に呼んでいただけないなー」とか思ってて。悔しいし、情けないですし、「あのときもっとこうやっといたら」みたいな後悔は山ほどありますが、後の祭りです(笑)。ただ、まずは食えるかどうかが僕は一番ですから。別のところで評価していただいて、そっちが仕事になるのであれば、全然それは拒むものではないですけど。

【田中】ただ、別のところで評価されれば、それまでやってきたことも生きますよね。男爵が書く文章の構成がしっかりされているのは、やっぱり漫才の台本をずっと書いてきた経験があるからだと思いますし。

【山田】そう言ってもらえるとありがたいです。ただ、やってきたことが「貴族のお漫才」ですからね。あんまり台本に対して一目置かれる感じが業界にないのが、悲しいところですが(笑)。

田中俊之(たなか・としゆき)
社会学者
1975年生まれ。博士(社会学)。武蔵大学人文学部社会学科卒業、同大学大学院博士課程単位取得退学。大正大学心理社会学部人間科学科准教授。社会学・男性学・キャリア教育論を主な研究分野とする。男性学の視点から男性の生き方の見直しをすすめる論客として、各メディアで活躍中。
山田ルイ53世
お笑い芸人
本名・山田順三。1975年生まれ。お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。地元名門中学に進学するも、引きこもりになる。大検合格を経て愛媛大学入学、その後中退し上京、芸人の道へ。雑誌連載「一発屋芸人列伝」で第24回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞「作品賞」を受賞。同連載をまとめた単行本『一発屋芸人列伝』(新潮社)がベストセラーに。
(写真=iStock.com)
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