「一貫した世界観」がほしい人たち

では、事実でなければ、人びとは何を求めているのか。アレントによれば、それは「一貫した世界観」である。身の回りに起きる個々のばらばらな出来事を、自分が納得のいく仕方で説明してくれる世界理解の方法である。

かつてそれは宗教であった。たとえ自分が苦難に遭っても、神や仏のみこころの中では「この不条理や苦しみに何らかの意味があるのだろう」と考えることができた。しかし、既成宗教が弱体化した今日、それに変わる説明原理を提供してくれるのが陰謀論なのである。

一見無関係と思われるような遠くの出来事のあれこれは、実はみなつながっているのだ、その背後にはこういう原因があって、これがすべての現象を動かしているのだ、という説明原理がそこにある。自分が失業して苦しんでいることと、中国やメキシコで起こっていることが、実は深いところでつながっている、それは誰かの陰謀なのだ、という一貫した説明原理である。

それが事実かどうか――それはあまり重要ではない。人は、正しいから納得するのではない。納得するから正しいのである。たとえ事実がそれと違うことを指し示しているように見えても、それはうわべだけのことである。自分は、より深いところにある、歴史の必然性を知っているのだ。いったんそう信じた人は、もはやどんな反証も受け付けない。まさに宗教的な原理主義に特徴的な信念形態である。

実は、このように信じさせることは、ナチズム以来の大衆プロパガンダの常道手段であった。ヒットラーの『わが闘争』を読むと、彼がアメリカの大衆宣伝の手法からいかに多くを学んだかが、彼自身の言葉で雄弁に書かれている。ナチズムの手法は、アメリカ生まれなのである。

「納得できるか」が事実より大事

森本あんり『異端の時代――正統のかたちを求めて』(岩波新書)

ポピュリズムもまた、「移民」や「テロ」という簡単な原理で、身の回りの世界を一挙に説明しようとする。「ワシントンの政治家」「ウォール街の金融家」などが、重要なキーワードだ。ポピュリストは、こうした感情的にチャージされた用語を用いて、人びとの暮らし全体をわかりやすく説明してくれるのである。ポピュリズムの魅力は、このような疑似信仰ないし代替宗教の力に他ならない。

昨今はフェイクニュースに対応して、「ファクトチェック」の必要が論じられるようになった。だが、特定の世界観に生きる人びとにとって、あれこれの「事実」は結局さほど問題にならない。それらの全体を通して、ある種の納得感が得られるかどうか――それが「事実」の判断よりも上にあるからである。

以前は、何が事実であるかは、新聞を読んだり本で調べたりすることで判断することができた。信頼できる組織による裏付けや、論理的な整合性などが、真偽の判断を支える合理的な手段だった。しかし今日、真理の最終審級は、各人が直接心の内に感ずるものでしかない。宗教学の用語では、この直接性を「神秘主義」と呼ぶ。現代ポピュリズムの本質はここにある。これ以降の詳細は、拙著をご覧いただきたい。

森本あんり(もりもと・あんり)
国際基督教大学 学務副学長・教授
1956年神奈川県生まれ。プリンストン神学大学院博士課程修了(Ph.D.)。専攻は神学・宗教学。著書に『アメリカ的理念の身体――寛容と良心・政教分離・信教の自由をめぐる歴史的実験の軌跡』(創文社)『反知性主義――アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書)ほか多数。
(写真=iStock.com)
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