「無から有」をつくる商売の本質
「番組のディレクターが、“まむしさんには悪意はなく、ババアは愛称のつもり。下町では日常の挨拶です。全てを聴いて判断して頂ければ”と答えてくれた。番組のスポンサーも俺を守ってくれた。ありがたいよね」
そこから毒蝮は自分なりの手法を確立することになる。
「ジジイ、ババア、くたばり損ないって辺り構わず言っているわけじない。そう言われて笑って受け流しそうな人、口答えできそうな人をちゃんと選んでいる。本当に弱い人、元気のない人には言わないよ。弱い人を思いやるようにっていうのが、お袋の教えだったからね。俺はあまのじゃくなんだ。普通ならば人に嫌われるような言葉を掛けて、相手に笑ってもらい、また俺に会ってもらいたいと思ってもらえれば面白いじゃないか」
毒蝮は自分の話芸をこう分析する。
「俺たちというのは、ある意味人から妬まれる商売なんだ。無から有を作る。百円のところを千円取るようなものだろ? おはようございますって言うだけでも、なんか味があるとか、なんか面白いとかがあって、聞いちゃうよねってならないといけないんだ。よく“横断歩道を渡ってください”って言うだろ。それだけじゃ面白くない。誰も聞きゃしない。だから俺はこう付け加えるんだ。“横断歩道を斜めに渡る。これが近いのよっていうババアがいる。でも、それはあの世への近道だよ”って」
同業にウケる際どさとは
彼の言葉はぴりりとした毒がある。しかし、決定的に傷つけることはない。その差配が絶妙である。
「紙一重のところが聞いていて面白いんだろ? ここまで言ったら社会問題になるかな、客が怒るかなという、ヤジロベエが面白いんだ」
声だけが頼りのラジオは、普段隠している話し手の奥底が露わになりやすい。
利口が鼻につく人間、言葉遣いが丁寧でも高みから話をする人間は避けられる。毒蝮の番組が長年続いてきたのは、彼の温かさが伝わっているからだろう。
しかし、媚びない。
彼が常に頭に置いているのは、芸名「毒蝮三太夫」の命名者である、立川談志の視線である。
「際どくないと同業者が俺のこと、気にならない。素人は甘いんだ。談志は同業者に受けない奴は嫌っていたね。素人に受けようとする奴はせこいってね。雑誌でも芸能人でも同業者の評判が大事なんだ。素人を狙っている奴は飽きられる」
長く続けるには何が必要か。毒蝮の言葉は腹にずしりと来る。