そんなとき、90歳近くなる卒業生の言葉が彼女を救います。「その方は、戦争で家を焼かれて新潟に疎開し、義父の介護で東京に戻れなくなった。それでも『線路を見るたびにこの線路は品川に通じている、と思うと頑張れた。この学校だけが私の頼りでした。紫穂子ちゃん、学校を守ってね』とおっしゃったのです。そのとき私は、『私にとっての経営とは卒業生の母校を守ること、教育とは在校生を育てること』だと気づきました」。これこそが漆さんの学校運営のビジョンになっていくのです。
それから彼女がはじめたのは、生徒、親、卒業生、教師すべてのステークホルダーにこのビジョンを共有し、巻き込むことでした。経営状況をありのままに伝え、改善案を一緒に考えてもらうことにしたのです。そして、この学校をどういう学校にしたいのか、どんな教育をしたいのかを話し合います。すると皆に当事者意識が芽生え、一人一人が自ら動くようになったのです。
「制服の変更」ではベテラン教員から猛反対にあった
このような行動は、経営学ではセンスメーキングと呼ばれます。ミシガン大学のカール・ワイクが提唱した理論で、「経営者がビジョンやストーリーを語り、周囲の共感を得て協力者を巻き込んでいく」ということです。漆さんは、まさにセンスメーキングの達人と言えます。
生徒に対しては、「学校はあなたたちだけのものではなく、卒業生のもの。あなたたちもいつか卒業生になる。制服を着ているあなたたちは、みんなの代表なのよ」と語りかけました。それにより生徒の「人の役に立ちたい」という貢献意識が高まり、学校をより良くしたいという思いが強まる。生徒たちが品川女子学院のブランドをみんなでつくろうという意識を持ち出したのです。
90年に制服を変えようとしたときには、ベテランの先生から猛反対にあいます。しかし当時流行っていた『東京女子高制服図鑑』で「品女の制服はセーラー服の化石」と書かれ、下校時にこっそり私服に着替えて帰っている生徒を見た漆さんは、「生徒が誇りを持てる制服にしたい」と強く思い、若い教師5人とチームをつくってデザインを一新します。できあがったキャメル色のジャケットとチェックのスカートの制服は評判になり、教師たちは改革の成功を目の当たりにしたのです。
経営学では、「成功体験と失敗体験のどちらが重要か」という研究が多くありますが、漆さんは、前者を重視して改革を成功させました。教師・生徒・事務員・PTAそれぞれが「やればできる」という自信をつけ、前向きに行動する意識(内発的な動機)を高めたと考えられます。