実は、松下幸之助氏がつくった事業部制が「最新」であったのではないだろうか。それを津賀社長が津賀風に料理することにより、強い組織にしようとしている。もし、事業部という縦軸に、事業部間の横軸を通し、4つのカンパニーのもとに稼働させている組織が「津賀スタイル」というのであれば、相乗効果を生むためにというお題目のもと、時間と人材を浪費されがちなマルチファンクショナル組織の罠にはまらないよう、どのように工夫しているのだろうか。
「事業部は固定的になっていません。変化しているのです。消えていく事業部、外へ出ていく事業部、統合される事業部、新しく生まれる事業部、つまり、事業部そのものが変化しています。
これまで当社は、本当の意味でのカンパニー制を置いたことがなかった。あえて言えば、分社制というのがそれに近い形でした。今は、カンパニーの社長が事業部のデメリットをうまく消しながら時代の変化に対応していこうとしています」
合理性だけで、事業を決めない
「合理主義者」と自他ともに認める津賀社長ゆえ、事業にも合理的に対応しているのかと思いきや、「私が合理的だからといって、われわれがやっている事業が必ずしも合理的なものであるとは思いません」と意外な答えが。
「たとえば、家電事業。これだけ成熟した事業で、毎年、新製品を出しています。この行動は、トータルで見たら合理的でしょうか。崩壊するかもしれない既存の自動車産業向けの電池事業に注力しようとしている。これは合理的か。やっている事業については、合理的か、合理的でないかで、決めていない」
どんどん数理科学化してきた近代経済学でさえ、合理性の限界を言い始め、心理学を応用した行動経済学が台頭。それで、リチャード・セイラー博士がノーベル経済学賞を受賞する時代である。伝統的な経済学は、経済主体が合理的な計算に基づいて行動するという人間像を前提に理論を組み立ててきた。
対して、セイラー博士はその合理性が限られたものであり、人間には認知能力の限界や自制心の欠如があることに着目。そうした人間の特性が個人の意思決定や市場動向にどう影響を及ぼすかを示した。セイラー博士は受賞直後、「経済の主体は人間であり、経済モデルは人間を前提にしなければならない」と述べている。
しかし現実の企業行動を見ていると、株主重視経営が絶対視される流れの中にあっては、IR(投資家向け情報)を中心に「賢いふり」「合理的なふり」をしなくてはならない。合理的なふりをしているうちに、合理的に分析することが最大目的になり、それに向かってものを言い、振る舞う癖(思考・行動パターン)が身に付いてしまう。それが度を越せば、合理性原理主義に走る危険性も否めない。広報スタッフによると、「(自称・合理主義者の)津賀社長は、演歌が好き」だそうだ。合理性では説明できない歌詞の非合理性が演歌の魅力なのだが。
パナソニック社長
1956年生まれ。大阪府出身。79年大阪大学基礎工学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)入社。86年 カリフォルニア大学サンタバーバラ校修士課程修了。マルチメディア開発センター所長、代表取締役専務などを経て、2012年代表取締役社長に就任。