※本稿は、斉藤章佳『万引き依存症』(イースト・プレス)の第3章「なぜ女性が多いのか」を再編集したものです。
万引き依存になる人・ならない人
盗む行為をまったくしたことがない、という人はいるでしょうか。
たいへん失礼な問いのようですが、胸に手を当ててよく考えたうえで「一度もありません」と言い切れる人はとても少ないと思います。
親の財布から小銭をちょっと拝借したり、友だちと「度胸試し」と称してお菓子や文具を万引きしてみたり、そんな経験を大多数の人がしてきているでしょう。私もそのひとりです。幼いころに、両方の経験があります。
それでも多くの人は盗むことが常習化しませんし、依存もしません。だいたいの場合、それは楽しい経験ではないからです。その瞬間はちょっとしたお得感や優越感、達成感を覚えたにしても、それは行為後の罪悪感や後悔、「見つかるんじゃないか」という恐怖感と常にセットで、たいていは後者が前者を上回ります。
盗んだものは、それほど高額でなく自分でも買える程度のものだったり、実はそれほど欲しいものではなかったりするものです。となると、これ以上万引きしないというのはそれほどむずかしいことではないでしょう。
万引き依存症になる人とそうでない人を分けるものは、いったいなんでしょう。
それを考えるためには、万引き依存症になったきっかけ、依存していく過程を明らかにする必要があります。
誰も「毎日やるようになる」とは思っていない
彼らは、生まれながらの万引き依存症者ではありません。はじめて万引きをしたとき、これからそれを毎日のようにやることになるとは露ほども思っていません。
誰もが盗んでしまったあと、「今回だけ」、「たまたま魔が差してしまった」と思います。それなのにまた万引きし、次も万引きし、気づけばスーパーに行くたびに盗む、いえ、盗むためにスーパーに行くようになるのはなぜか。
やめたくてもやめられない、というと、一歩足を踏み入れたが最後、いくらあがいても落ちていくだけという、アリジゴクのようなものを想像されるかもしれません。そのイメージも遠からずではありますが、はじめての万引きも、毎日のように繰り返す万引きも、その人にとっては必要だからこそやっているのです。つまり、実行することを自分で選んでいます。