3億借金直後のリーマンショックでもくじけなかった
本当に大変なことがあり、ピンチに追い込まれたとき、人は何も考えられなくなるものです。
私の一番のピンチはリーマンショックのとき。設備投資のために3億円の借金をしたばかりなのに、どんどん注文が減り、従業員の給料はどうしよう、会社はどうなるのかと悩みました。そんなとき先代の父が、「この会社はだめになるな」と私に言うんです。殺意がわきましたね(笑)。でも、そのあと、「このまま石油が手に入らず、文明が崩壊したら、うちは発電機を作れるかなあ」と続けた。「そうか、まだ最悪の状態ではない、できることはある」と、父のおかげで気づけたため、すぐに「半年売り上げがなくても会社は大丈夫」という事業計画をつくって銀行に持ちこみ、事なきを得ました。
ピンチに際して、「困ったな」「どうしよう」と思っているうちは打開策は見つかりません。問題を客観視できていないからです。「どうしたらいいか」を常に考えることが、あきらめない練習になります。
あきらめたくなったら、自分自身に対して、「だったらこうしてみたら」と心でつぶやいてみてほしい。日本の学校では、答えが出ないときには「わかりません」と言えば、先生はそれ以上深く聞いてこないことが多い。だから大人になっても、わからないときに調べたり、別の方法を試したりせずあきらめがちです。でも、なりたい自分、理想の未来をたくさん想像し、その実現のために「だったらこうしてみたら」と自分に言い続ける。そうすることで、なりたい自分に近づけます。
「どうせ無理」「できっこない」と思う必要はありません。私がロケット開発を手掛けようと決意したのも、この「どうせ無理」をこの世からなくしたいという思いからです。きっかけは、ボランティアで児童養護施設に行ったとき、施設に来る前に虐待されていた子どもたちに接したこと。他人に対して不信感を持ち、思い通りの未来が描けない彼らに「やればできる」ということを、身を持って示したいと思いました。どんな境遇でもあきらめないでほしい。そこで私は、他人から散々「無理だ」と言われてきた北海道での宇宙開発を実現してやろうと決めました。
あきらめない気持ちを思い出すためにおすすめの方法は、自分が3歳くらいの頃の写真を眺めてみること。幼かった頃に考えていたこと、そのときの夢を思い出して、この子の夢を支えるために今の自分に何ができるのかと考える。きっとまた、いろんなことができるはずです。