仙川商店街で50年間、「おむすび」を販売してきた人気店
ほのかに温かい小ぶりのおにぎりは、ツヤツヤのお米が口の中でふわりと解け、心の奥にまで染み入るような味わいだった。たっぷり入った甘じょっぱい豚そぼろも、旨味たっぷりのネギ味噌も、甘めに炊き上げたあさりも、具はどれも後引く美味さ。しっとりとした海苔と相まって、手に包んで頬張れば、このおにぎりに出会えた喜びが込み上げる。
素朴で飾らない、まるで握り手の人柄そのもののような珠玉のおにぎり。一つ一つ、握っているのが“看板娘”の手島弘子さん、81歳だ。27歳からおにぎりを握り続けて、もうすぐ55年という。
世田谷区と調布市の境目に位置し、白百合女子大学や桐朋学園大学がある京王線「仙川」駅。全長1キロほど続く商店街の一角、「おむすび てしま」は長年、地元で愛されているおにぎり専門店だ。黒を基調としたシックな雰囲気、木目を生かしたあたたかみのあるこぢんまりとした店内には、ざっと20種ほどの手作りのおにぎりが並ぶ。おにぎりばかりか、さまざまなお弁当にお惣菜と、食いしん坊にとってはたまらない空間だ。
息子の健太さんと共に大黒柱として、この店を切り盛りしている弘子さん。その丸まった背中が、どれだけ働き続けてきたかを物語る。小柄な体に、好奇心旺盛なくりくり動く瞳が印象的で、お茶目な笑顔がなんともかわいらしい。
昭和18年生まれ、小学生の頃から食事を作り、手にはあかぎれ
弘子さんは昭和18年1月、7人きょうだいの上から4番目として生まれた。祖父は五反田で米屋を営んでいたが、戦争が終わってすぐ、弘子さんが2歳の時に、一家で仙川へ移住した。
「私は戦前の生まれだけれど、戦争のことは何も知らないの。なんで、仙川に来たのかも」
記憶にある仙川は辺り一面、畑ばかり。畑の合間に、商店がポツリポツリと建っていた。祖父は仙川でも米屋を始めた。
「私が小学校2年生の時に米屋を始めたのだから、うちの米屋はもう70年」
弘子さんは、どんな子どもだったのだろう。
「おとなしい子だったね。ピアノと歌が好きで、小学校の音楽室でピアノを弾いて、バイオリンもちょこっと、かじってね。先生が教えてくださった。音楽室に入り浸りだった」
小学生時代を思えば、真っ先に出てくるのは姉と一緒に、朝ごはんをつくったことだ。
「母が更年期で、朝、起きられないの。だから9歳上の姉と二人で、朝ごはんの支度をするの。前の日にお米を洗っておいて、朝、薪でご飯を炊くの。味噌汁も作って。もう、すごい、あかぎれ。水仕事だから。学校の先生が私の手を見て、『働く手だねー』って」
弘子さんは小学生の時から、「働く手」の持ち主だった。働き続ける生涯を、まさか小学生で予見されるとは……。