91歳の料理研究家は働きっぱなしの人生
テレビ画面の向こうで楽しそうに料理をつくっているのが、小林まさるさん91歳だ。この日はNHK「きょうの料理」の講師として登場。年齢を感じさせないキビキビとした動きと姿勢、そして会話のテンポもいい。ところどころでアナウンサーと笑い話を交えながらレシピの説明をしている。
「俺は簡単な料理が得意。パパッとつくれておいしいと、みんなが助かるよね」
まさるさんの自宅を訪れたのは、柔らかな日差しが差し込む午後。穏やかな笑顔で迎えてくれた。11月も半ばというのに、相変わらずの裸足だ。おもむろにミルでコーヒー豆を挽き、ケメックスのコーヒーメーカーで淹れ始めた。噂の“まさるコーヒー”だ。香りがよく、濃厚でおいしい。コーヒーに魅了されたのは20代のころで、今でも来客があると必ず淹れると言う。
「俺の人生なんて働きっぱなしだよ。20歳から91歳の今まで71年間。何のために働いているのか、人間ってこんなに働かないといけないのかって考えることはあるけれど、働くのが嫌だって思ったことが一度もなかったね」と豪快に笑いながら、歩んできた人生を語り始めた。
飢えと寒さに耐え抜いた少年時代
1933年(昭和8年)、日本統治時代の樺太で生まれた。当時、樺太の炭鉱で働くのは給料がよく、多くの人が一旗あげに海を渡ったと言う。まさるさん一家もそうだ。樺太南部の「川上」と呼ばれた町に住み、父は修理工として炭鉱で働いていた。自宅は山の中腹にあり、学校は山一つ向こう。毎日300〜400mの坂道を上り下りの生活だ。
炭鉱での生活は厳しく、特に冬場の寒さはこたえるものがあった。「尋常じゃなかったよ」。9月末から雪が散らつき、翌年の4月までは雪に覆われる樺太は、冬場の燃料となる石炭を夏の間に運ばなければならなかった。
「毎日、毎日、背負って坂道を登るんだよ。確保しないと凍えちゃうからね」
雪が積もれば鉄板に乗せて谷底まで捨てに行く。発電所が壊れてモーターが止まれば、水も天秤棒に吊るして担いで運ぶ。
「いろいろ運んだね、何往復も。だから今でも足腰が強いのかもしれない(笑)」
まさるさんは7人兄弟の長男で、子供の頃から母の手伝いをするのが当たり前として育った。
「嫌だとか、つらいとか、そういう考えはなかった。家族みんなで協力しなければ、生活が成り立たなかったからね」生きる知恵も樺太で身につけたと言う。