「赤毛のアン」「原節子」がいたから今の自分がある
私は、小学校のときにカナダのプリンス・エドワード島を舞台にした小説『赤毛のアン』に出合って、夢中になった。シリーズを全作読んで、高校では原書ですべて読み直した。振り返ってみると、主人公のアン・シャーリーは、私にとってお付き合いする異性のイメージというよりは、自分自身の中にある女性の理想像だったと思う。
好奇心に満ちて、現実を想像力で補い、どんなときもひたむきに学び、行動していく。そんなアンの姿に、私は自分のあるべき理想を投影していたと思う。『赤毛のアン』を読むことで、成長することができたのである。
小津安二郎監督の映画に出てくる原節子さんにあこがれたのも、似たような部分があったと感じる。原さんの、日本の文化に根ざした凛とした言葉遣いや立ち居振る舞いが、自分自身がどう生きていくかという課題に1つの答えを示していた。
自分の無意識の部分に、アン・シャーリーや原節子さんがいて、理想化された女性像=「アニマ」として成長を支えてくれたということを、振り返って確信する。
アニマやアニムスは、脳の働きから言えば、鏡のように自分と他人を映し合う「ミラーニューロン」と関係する。異性が自分の鏡となり、学びを促すのである。
読者のみなさんにとっての「アニマ」や「アニムス」は、誰なのだろうか? 見つめ直すことで、成長のきっかけがつかめるかもしれない。
(写真=AFLO)