みなさんがそれぞれに「心の柱」を見いだして、自由自在にはたらくことができるようになる――それはまさに、禅でいうところの「無心」に他なりません。
千本の手をお持ちの千手観音は、その中のただ一つの手に気を取られてしまうと、残りの九九九本の手は使えなくなると言われています。
無心になるにはどうすればいいか。
その場その場で自分の目の前のことに、成りきるしかないのです。心に思うものを後に引きずらない。失敗にも成功にも囚われない。余念を交えず、精一杯に努める。そうすれば自分の行為に正解、真実を見いだし、生きがいを感じて生きていくことができるのです。
あなたにとって「幸せ」とは何ですか
人によって何に幸せを感じるかは、千差万別です。100人いれば100通りの幸せがあります。
しかし子どもはそんなことお構いなしで、「何が幸せか」と質問をしてみると、次から次へと手を挙げて発表してくれます。「アイスクリームを食べている時」「自転車に乗っている時」「お友だちと遊んでいる時」などなど。おそらく一番印象に残っている楽しかった思い出を、言葉にしているのだと思います。
『白隠禅師和讃』に「当所即ち蓮華国」というものがあります。
今まさにこの場所を、蓮華国つまり「極楽」だと思うことができたなら、人生は「幸せに満ちあふれる」という意味の言葉です。つまり、「当処即ち蓮華国」とは、自分の足もとをしっかり見なさいという意味でもあります。
私たちはどうしても、「隣の芝生は青く」見えてしまいがちです。「もっといい家に生まれていれば」「もっと頭がよければ」「もっといい容姿をしていたら」「もっと健康だったら」「もっといい仕事に恵まれていれば」……求めて、求めて、得られないことに苦しみを感じてしまいます。
その苦しみから逃れるために必要なことは、「今ここ、目の前のこと」としっかり向き合い、それが最高で最良でベストであると心から思うことしかないのです。