ビジネスシーンでも日常的なウソはある。たとえば、上司に対して部下がミスを隠すような場合。重大なミスほど早く相談すべきところが、「大丈夫です。順調に進んでいます」とウソをついて先送りしてしまう部下がいる。

バレなければ、誰でも「隠す」

「自分のミスを隠そうとするのは、心理学でいう自己奉仕バイアスが働くからです。誰にでも自分を守ろうとする心理はあって、早めに報告する人が正直者とは限りません。ウソをついてもいずれはバレる、上司に早く手を打ってもらうほうが被害が小さくてすむなど、多くは先々のことを計算した結果。絶対にバレないと確信すれば、誰でも隠そうとすると考えていいでしょう」

不祥事を起こした政治家や芸能人などを思い浮かべるとわかりやすい。マスコミに追及されても、初めのうちはごまかそうと必死になる。事実が明るみに出て、これ以上はごまかせないと観念すれば、手のひらを返すように「申し訳ありませんでした!」の一点張りになる。先の展開を見越したうえでの謝罪だ。

なかには、もはや隠し切れない状況でも、さらに見え見えのウソを重ねて大炎上させる人もいる。しかも、そこで他人に責任転嫁するのは最悪のパターンだ。ビジネスでいえば、自分のミスを部下や協力会社のせいにするようなもの。すべてが明るみに出れば、上司や同僚の信頼を完全に失いかねない。

他人の悪い評判にも、ウソは混ざりやすい。誰かが悪意を持って広めるのだから当然だが、繰り返し語られることでコンセンサスが広がり、それが一種の定説となることもある。みんながそう認めたという社会的真実性だ。

心理学の視点からは、悪口には別の効用もあるという。

「バランス理論といって、お互いに共通の敵がいることは最も結束を強めます。赤ちょうちんで部下たちが上司の悪口を言うことは、職場の連帯感にはプラス。逆に誰かが『いや、あの上司は立派だ』と反論したら座は白け、その人は仲間として信頼されません。ただし、あまり悪口ばかり言っても負の感情が溜まるので、わっと盛り上がったところでやめるのがコツです」

他人を褒めるときに「あの人が誰かの悪口を言うところを見たことがない」というのは、実は一緒に飲んでもつまらない人、仲間意識が持てない人という意味にも受け止められるというわけだ。

共通の敵を確認することは、一方で互いの危機感を共有することにもなる。企業で言えばライバル会社であり、国家で言えば仮想敵国となるだろう。しかし恐怖心や不安感が強すぎると、ウソに騙されやすくなるから要注意だ。