ワークライフバランスへの取り組みが企業の課題

恐らく、現実は、多くの人のマインドのなかで、自分の仕事の社会的意味を問い直し、社会的貢献を通じて自己実現をしたいという欲求が芽生えたのであろう。社会に役に立つことを通じての自己実現という感覚だろうか。でも、この両者は少し考えると矛盾する要素を含むものであり、両者の間に折り合いをつけるにはかなり高度なレベルでの思慮と覚悟が必要なはずだが、それを抜きにして、安易に社会貢献による自己実現が可能だと考えてしまうことに危うさが潜んでいる気がする。

そこには大震災の前から議論されている「自分に合った仕事」が与えられなかったから早期に退職する若者たちと同様の構造が隠れていないか。

「自分に合った仕事」も「人の役に立つ仕事」も、それが自己実現につながるためには、それなりの投資が必要で、押しつぶされそうになる「自分に合ってない感覚」や「人の役に立ってない感覚」を乗り越えないと獲得できないものなのだ。

また、家族・家庭を大切にするということも、単純に家族と一緒にいる時間を多くすればいいということではない。過度に走った感は否めないが、高度成長期の猛烈サラリーマンは、家族と過ごす時間は少なかったけど、家族・家庭を守るという「心のなかのワークライフバランス」を重視していた人が多かった。

今回の震災は、ある意味では働き方を見直し、また生き方を再考するいいきっかけである。働き方の選択には、「仕事をするうえで何を大切にするか」という選択と、「それをどう実現していくか」という2点があり、大切にするものの選択は、必ずしもそのまま実現の方法と同じではない。両方の選択が揃ってはじめて働き方の選択になる。大震災がゆさぶりをかけたのは、「大切にするもの」のほうなのであろう。

これまで自分が大切だったと思っていたものが、案外もろいものだと知り、本当に自分が何のために働いているのかを知りたくなった。そのなかで、震災前からの社会的なトレンドと一致したのが、家族であり、社会貢献だったのかもしれない。

ただ、それをどう実現していくかについての思考はあまり進んでいない気がする。キャリア形成において言われるように、何を大切にするか(キャリア論の世界では、例えばキャリアアンカーと呼ばれるもの)の選択と、それを実現するための実現戦略とが両方必要なのである。

後者がないと、時間がたつにつれて、企業が達成への道筋をある程度提示する目標(昇進や高収入)を自分の目標として受け入れ、そこに邁進するようになる。またはそうでなければ夢のような“適職”を求めて、転職の迷路をさまようことになる。