――数字を書き留め、覚えるようになったキッカケは何ですか?

1987年から2年間、当時の社長・相浦紀一郎が業界団体の日本船主協会の会長を兼務したとき、その会長秘書を務めたことです。相浦は移動中の車のなかで、「いま世界中で動いている船は何隻かね」「では、飛行機の数は?」などと次々、質問してくるのです。スピーチするのに必要なデータとしてです。

最初は答えられない場面が多かったので、以後、必死に手帳に書き込んでおくようになりました。担当分野だったコンテナだけでなく、世界の海運という目線で物事を考えるようになりました。

――知行のうち「行」は一歩踏み出すこと。知には長けていても実際の行動に乗り出す勇気に欠けた人間は、どの組織にも少なくないのでは?

「行」のために大切なのは、試練を乗り越えた経験です。当社の場合も、00年以降に入社した若手は右肩上がりのマーケットに乗っかってきた苦労知らずの世代。その意味で、今回の苦境は若手社員を鍛えるいいチャンスだと捉えています。

当社の一番苦しかった時代を知っているのは、現在40代後半から50代の部長層。市況の悪いなかでリスクを取って船を増やし「第三国間輸送」にシフトした時代に自ら対策を練ったり、上司が頑張っている姿を見てきた世代です。

その下のグループリーダーの層も苦労をある程度共有し、会社が急激に伸びた時期には課長として実戦をこなす立場でした。これらの世代には、厳しい時代を乗り越えた体験を部下に伝えてほしいと考えています。

――芦田社長自身も、99年のナビックスラインとの合併時には、常務取締役企画部長として合併を担当し、いくつも厳しい決断をされました。

当時の社長・生田正治が合併話を提起したとき、私はすぐ「やるべきだ」と。

企業風土や人材面から見ても、互いに「知行」のバランスをより良い方向に補い合う形の合併でした。相手側のほうに実戦経験豊富な野武士型の人材が多く、合併後の枢要なポジションにその人たちが就きました。同時に、ナビックスラインの企業風土のうち是正すべき面は私が厳しく指摘して直してもらいました。

合併を、互いの弱点を見直す非常にいい契機にすることができたと思います。

挫折知らずできた世代は、過去に一歩踏み出した先輩たちの経験に耳を傾けることも大切。それが新たな「行」に結び付いていくと考えています。

(小山唯史=構成 大杉和広=撮影)