なぜAさんは、過剰とも思える投資をしたのか

結果として、開業後のAさんのパン屋の売り上げは、この数字に遠く及ばないものでした。なぜAさんは、過剰とも思える投資をしたのでしょうか。

知人によれば、「ライバル」の存在があったのではないか、ということでした。Aさんのパン屋から10キロほど離れた場所にある、大人気の有名なパン屋です。営業時間中は常にレジに長蛇の列ができ、多数のパン職人と店舗スタッフが生き生きと働いていました。Aさんにとっては、ベンチマークとなる大きな目標だったはずです。

パン屋の経営は初めてでしたが、Aさんには勝算がありました。Aさんのお店が提供するパンは、こだわりの厳選した小麦粉を使い、とても風味豊かな本格的なパンです。絶妙な配合で米粉を加え、もっちりしていてとてもおいしいと評判でした。

また、Aさんが自分で育てた旬の野菜やフルーツを使った惣菜パンは、目標にした人気店のパンにけっして引けを取らないクオリティ。私の知人は、東京の青山か六本木辺りに出店しても人気が出るほどのレベルだった、と言っていました。

ところが、Aさんのパン屋にはひとつ大きな問題がありました。「立地」です。

飲食店の運命を左右する「立地」

ライバルの人気店は、主要道路沿いにありました。週末にはたくさんの車が行き交い、見晴らしもいい一本道。ドライバーは遠くからでも看板に気づき、次々ハンドルを切って入っていきます。60台分以上ある駐車場は、週末も平日も、いつもいっぱいでした。

それに対し、Aさんの店は車通りの少ない農道沿いにありました。しかもカーブの内側にあり、近づかないと店舗の建物が見えません。なぜか看板は小さく、道路を走っていてもその存在に気づきにくく、駐車場も6台分ほどしかありませんでした。

道路の先には住宅街があるものの、歩くにはかなり遠い。「どうしてこんなところにパン屋さんが?」と不思議に思うほどだったのです。

おいしいものさえ作れば、お客さんは必ず買いに来てくれる――。

それは、Aさんが農産物直売所で実践し、大きな成功を収めたところから生まれた経営哲学、信念のようなものでした。しかし残念ながら、飲食店には、Aさんの経営者としての経験はまったく通用しませんでした。