やがて、50代になったAさん。少しずつ引退後のことを考えるようになりました。直売所の運営会社は共同出資です。Aさんも株の一部を持っているとはいえ、オーナー会社ではありません。そもそも、Aさんは自らなりたくて社長になったわけではなく、いつまでも続ける気持ちはありませんでした。

そして、自身の引退後のことを考えて、Aさんは米粉を使ったパン屋さんを経営したいと考えるようになりました。忙しい仕事の合間を縫って、パン教室に通い始めます。研究熱心なうえに、器用で料理も好きだったAさんは、短期間でパン作りの技術を習得しました。

大きな2階建ての建物を新築することにした

いよいよ現実的な目標になるにあたって、Aさんが金融機関に相談すると、担当者は乗り気になって積極的に融資提案をしてくるようになりました。

「どうせなら単なるパン屋さんじゃなく、地元食材の加工施設にしましょう。地域農業を振興するための施設を造るという枠組みを使えば、助成金が使えます。そして、条件のいい融資を受けることができますよ」

三戸政和氏

つまり、うまくやれば低い金利で、高額な融資を受けられるということでした。

農産物直売所からもそれなりの報酬を得ており、農家としても立派な売り上げを立てていたAさんの信用力は非常に高く、金融機関の担当者からすれば上客でした。担当者は当然、借りられるだけ借りてもらったほうが自分の成績にもなる、とソロバンをはじいていたはずです。

まんまと乗せられてしまったAさん。パン屋を開業するにあたり、大きな2階建ての建物を新築することにしました。

1階には大型オーブンを備えたパン工房と店舗、それとは別に、高額融資の条件であった地元食材の加工のための厨房を設けました。さらに将来、カフェをオープンする可能性も考えられるからと、2階に飲食スペースとキッチン、広いウッドデッキも備えつけました。

厨房機器はすべてピカピカの新品だった

こうして、Aさんは初めての飲食店経営であるにもかかわらず、新築で、3カ所も厨房がある立派な店舗を構えることになったのです。もちろん、厨房機器はすべてピカピカの新品です。

振り返れば、ここがAさんにとって「地獄」の始まりでした。

ふつうは、初期費用を抑えようと考えるものです。たとえば、それまでも飲食店だったお店を居抜きで借り、厨房設備もなるべく中古のものを購入し、内装と外装をリフォームして開店する……といった具合です。

こうしたやり方なら、1000万円程度の予算があればなんとかなったはずです。そのうち500万円を自己資金で用意し、500万円を銀行から借り入れるくらいがスタンダードなところでしょうか。