「僕との関係で左右されない人だと感じた」

長年、豊田章男トヨタ自動車社長と付き合ってきた先輩社員がいる。最初の配属先だった元町工場の事務所で前の席に座っていた泰江孝男さん(67)だ。

大学時代ホッケーに打ち込んだ章男社長は、トヨタ野球部の4番打者でもあった泰江さんを、自ら食事に誘い、慕った。「泰江さんはアスリートとしてある意味プロフェッショナルで自分に自信を持っていた。僕との関係で左右されない人だと感じたんだ」と章男社長は振り返る。

1988年7月、富士山登山のひとこま。泰江さん(右)と豊田章男社長。(写真提供=泰江孝男さん)

出会いから数年後の本社勤務時、泰江さんは「僕がいつもそばにいることで迷惑をかけていると思います」と章男社長から言われた。部署は違っていたが、お昼は社員食堂でいつも一緒。「豊田家の御曹司」と親しいことで、ねたみの対象になっていた泰江さんをおもんぱかった言葉だった。

「僕は、泰江さんが出世していないのがすごくうれしいんです。これで出世していたら『やっぱり泰江は』って言われてしまうから」。40代半ばで役員になった「章男さん」から独特な言い回しで親愛の情を伝えられたこともある。

トヨタ社長への就任が内示された際にも真っ先に報告があり「私が社長になってやることはトヨタを向こう百年継続させるための基礎づくりです」との決意を聞かされた。

35万人のトヨタと50人ほどの町工場

総務部で長く働いた泰江さんは、「章男社長」が誕生する前年の2008年春にトヨタを離れた。東京の小さな樹脂部品メーカーから「次の社長に」と数年前から誘われていた。「トヨタで章男さんを守る」と心に決めていたが、別の立場でこそできる手助けもあると考え直した。

以来、会う回数はめっきり減った。でも「どこかでつながっている」との感覚は常にあった。

3年後、泰江さんは予定通り社長になり、しばらくして会う機会があった。「同じ社長だね」。開口一番、章男社長は言った。世界で35万人の従業員を抱えるトヨタと、50人ほどの町工場の社長が同じということもないだろう。でも、うれしそうに「同じだね」と繰り返した。