正体を隠すための名前「モリゾウ」

「モリゾウさん」。豊田章男社長は車好きが集まるイベントでそう呼ばれる。司会者やサインを求めるモータースポーツファンが親しみを込めて呼び掛ける。

モリゾウはハンドルを握る際のドライバー名。副社長だった2007年、ドイツで開かれる耐久レースに出場する際「危険なのに立場が分かってない」「道楽だ」と冷たい目で見られ、なるべく目立たないようにと使ったのが始まりだ。ユーモラスな響きは、父の章一郎名誉会長が運営組織のトップとして心血を注いだ05年の「愛・地球博」の公式キャラクター「モリゾー」にあやかった。

正体を隠すための名前だったが、モリゾウのブログを始めたり、他メーカーの車にコメントしたり。次第に企業トップの立場では言えない本音を語るツール(道具)として活用するようになる。「モリゾウは豊田章男の素の部分を引き出してくれる」という。

ファンにサインをするモリゾウ。静岡県小山町の富士スピードウェイで。(撮影=宮本隆彦)

本音を伝えるコミュニケーション道具

この呼び名は社内にも浸透した。16年、あるラリーの会場で、出場するトヨタ社員から「きょうは社長じゃなくてモリゾウさんですよね」と声を掛けられた。「もう、ぽんっと距離感が近くなってね」。自由闊達(かったつ)な雰囲気が柔軟な発想のクルマづくりにつながることを期待する。

17年4月の社内向けメッセージでは「皆さんの中にモリゾウをつくってみてはいかがですか」と呼び掛けた。部下の本音を聞き出せるよう、上司の肩書を外して向き合ってほしい。モリゾウという存在に助けられてきた実感を込めた。

自分を消す隠れみの、本音を伝えるコミュニケーション道具、そしてモリゾウを持つことの勧め――。モリゾウとの関係の変化に、章男社長が経営者としてたどった10年が表れている。