モスクワ五輪を目指すホッケー日本代表に

シャープな顔立ちに、ふさふさの頭髪、鍛え上げた太もも。20代前半の豊田章男社長は、セピア色の写真の中でスティックを巧みに操り、躍動している。

慶応大時代にはホッケー日本代表に選ばれた。(写真提供=トヨタ自動車)

中学まではサッカー少年。名古屋を離れて進んだ慶応高で、いとこに誘われてホッケー部に入った。慶応大でも体育会ホッケー部で仲間と練習や試合に明け暮れた。1980年のモスクワ五輪出場を目指した日本代表メンバーでもあった。

「スピードと体力があり大学生では関東でピカイチだった」と慶応大でチームメートだった大森文彦(あやひこ)さん(61)は振り返る。左フォワード(FW)の大森さんのセンタリングをセンターFWの章男社長がシュートするのが定番の攻撃。四年生の最終戦となる早慶戦でもそうやって点を取り、有終の美を飾った。

「中途半端が一番危険」

章男社長は2015年、大リーグのイチロー選手(43)と対談する機会があった。「ピンチに強いのはなぜ?」と問われ、答えた。

「危機の場合は、そこに近づいた方が安全だという意識がどこかにある」

ホッケーではサッカーでいうコーナーキックのような権利が相手に与えられることがある。その時、チームで一番足が速かった章男社長の役割は、思い切りシュートする相手に向かってゴールラインから突進し体を張って防ぐことだった。

出足が遅れると、時速150キロを超えるシュートボールが上がってきて体や顔に当たり、かえって怖い。「中途半端が一番危険。近づくことが安全なんだと、体で覚えた」

社長就任後、大規模リコールで米議会公聴会に出席したり、女性役員(当時)が規制薬物を輸入した麻薬取締法違反容疑で逮捕(後に起訴猶予)された際に周囲の反対を押し切って記者会見したり。章男社長には、危機の渦中に飛び込んで会社を守るイメージがある。ホッケーが形づくった行動原理は今も、章男社長の奥深い所に根付いている。

宮本 隆彦(みやもと・たかひこ)
中日新聞 記者
1971年生まれ。95年、早稲田大学を卒業し、中日新聞社入社。敦賀支局、大垣支局、名古屋本社社会部、経済部、ベルリン特派員などを経て、2015年から名古屋本社経済部。
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