勤め人には必ず訪れる「定年」。『定年入門』(ポプラ社)で定年制度や定年を迎える人々を取材したノンフィクション作家の髙橋秀実氏は、「定年は明らかな年齢差別で、欧米ではありえない日本独自の慣習だ」と指摘する。そもそも定年とはなんなのか。生の声から分かった、私たちが受け入れている「現実」とは――。

※本稿は、髙橋秀実『定年入門』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。

なぜ年齢を理由に辞めなければいけないのか?

会社員でも公務員でもない私には「定年」がない。ビジネス書にはよく「人生に定年はない」などと書かれているが、言われるまでもなく「定年」はない。ないのだから、迎えることも備えることもないのである。

ずっとそう思ってきたのだが、このところ、共に仕事をしてきた人々が次々と定年退職をしていく。ついさっきまで熱心に仕事に取り組んでいたのに、ある日突然、「実は定年なんです」「定年なもんで」などと言い残し、私の前から消えていく。一緒に本をつくってきた担当者からも「これからは好きな本だけ読んでいきたい」などと晴れやかに宣言され、私は何やら取り残されていくような寂しさに襲われるのだ。

『定年入門』(髙橋秀実著・ポプラ社刊)

「定年」って何?

私は考えさせられた。彼らを連れ去る「定年」とは一体、何なのだろうか。

端的にいえば、定められた年齢に達すると退職するという制度なのだが、あらためて調べてみるとそのような制度を一般的に義務づけた法律などない。むしろ能力や経験にかかわらず年齢を理由にクビにするのは、明らかな「年齢差別」。法の下の平等や勤労の権利をうたった日本国憲法や労働基準法の趣旨にも違反するのではないだろうか。

実際、アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリアなどではパイロットなど一部の職種を除いて「定年制」は禁止されている。フランスでも年金満額受給年齢のみに容認されている。ところが、日本の場合は年金を満額受給できない60歳で早くも「定年」。禁止どころか99.7%の企業(企業規模1000人以上/『平成27年就労条件総合調査』厚生労働省)で公然と行なわれており、世界的にも珍しい事例なのである。

「定年」は最高裁で認められていた

ちなみに「定年制」は最高裁の判例でも認められていた。ある事件の判決の中で次のように認定している。

およそ停(定)年制は、一般に、老年労働者にあつては当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにかかわらず、給与が却つて逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために行なわれるものであつて、一般的にいつて、不合理な制度ということはできず、……。
(「就業規則の改正無効確認請求」最高裁判所大法廷 昭和43年12月25日)

短い文章の中に2回も「一般」が出てくる。「一般に」歳をとると、給与ばかりが上がり、その割に「適格性」が減るので、「一般的に」不合理な制度とはいえない、と。

個々の能力を無視し、年齢という一般的基準で裁いているわけで、最高裁自体が年齢差別を推奨しているのである。