「浮気遺伝子」は男女ともに存在する
下手をすれば、仕事を失い、家庭の崩壊を招くことにもなりかねないリスクを負ってまで、なぜ人は不貞の恋に突き進むのか。それは生物学では、「配偶者以外ともセックスしたい」という浮気の願望が遺伝子に組み込まれた欲求だから、ということで説明がつく。
その「浮気遺伝子」とでも呼ぶべき遺伝子は男女ともに存在する。男性の場合、浮気をしないAさんと、浮気をするBさんがいたとしよう。Aさんは1人の女性との間に生まれた子どもにのみ遺伝子が引き継がれていく。一方、Bさんは複数の相手と性的関係を持つことで、Aさん以上に多くの子どもをもうけることが可能になる。利己的な遺伝子にとって、最大の目的はセックスを通じて拡散していくことだ。そう考えると、浮気をすることは量戦略として有利なのである。
また女性は浮気性ではない、という言説をたまに目にするが、それは都市伝説にすぎない。女性が浮気をしたがる理由はいくつか仮説があり、なかでも有力なのが「多様性」の戦略である。
浮気をしないCさんと浮気をするDさんがいたとして、2人とも生涯で3人の子どもを産むと仮定しよう。Cさんが同じ男性との間に3人、Dさんが別々の男性との間に3人子どもをもうけた場合、遺伝子が多様化してリスク分散され、生き残っていく可能性が高くなるのは後者なのだ。また生殖期間が比較的短い女性が、たくさんある選択肢の中から最適なものを1つ選ぶため、複数の男性と同時に交際するのは非常に合理的である。
これらは狩猟採集時代、子どもが生き延びるために最適につくられた遺伝子の戦略だった。それから約1万年が経過したが、遺伝子はほとんど変わっていない。その間、社会制度は変わり、一夫一婦制がつくりだされた。
本能は不倫を求めるが、社会制度はそれを認めない
婚姻制度とは、一方の通告のみでは契約を解消することのできない、強固な保有関係である。しかも、平均すると50年間にわたってひとりの配偶者と婚姻関係を続けなければいけない。これは野球でたとえるなら、初打席でホームランを打つようなものだ。1回目の結婚で、セックスの相性もよくて、それが長く持続しながら、幸せなままで人生を終える。それがかなう確率は低く、現状に満足していなければ配偶者以外の異性を欲するようになる。
こうして本能は不倫を求めるが、社会制度はそれを認めない。男性の7割強、女性の3割が不倫をしている現状を見ると、今や一夫一婦制は機能不全を起こし、もはや破綻しかけているのではないだろうか。
とはいえ現行で一夫一婦制が採用されているかぎり、どんな理由であれ、社会的に不倫は許されないものである。そこで改めて考えてほしい。一体、誰が「許す」のか、ということを。それは不倫された当事者なのである。不倫は家庭内で対処すべき究極のプライベートなのであって、第三者が介入するものではない。
にもかかわらず、最近はマスコミが「許すまじ」という姿勢で不倫疑惑のある著名人にマイクを向け、謝罪を促す。さらにはストーキングして不倫を暴き、必要以上に本人を不幸にするケースも後を絶たない。そうやって世間の耳目を集めて売り上げにつなげる不倫バッシングビジネスは、もはや不倫より倫理に反する行為といっていいほどだ。世間が報道を不快に感じ、「やりすぎだ」という逆バッシングが起きたのも、至極当然な結果だと感じる。