「排泄予知デバイス」開発ストーリー

【田原】中西さんはいま排泄予知デバイスを開発しています。きっかけは、やっぱりこの事件ですか。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【中西】はい。自分が漏らしてから、うんこやおしっこをしなくて済む方法はないのかなと真剣に考えるようになりました。たとえば医療が進歩しているから、1000万円くらいの手術で一生うんこしなくていい体になるんじゃないかとか(笑)。

【田原】それは無理でしょう。食べたら出さなきゃいけない。

【中西】ですよね。自分も諦めました。ただ、出ることは避けられなくても、せめて予測できれば漏らすことは防げると考えて、排泄予知デバイスの開発を始めたんです。

【田原】ビジネスにするつもりで?

【中西】漏らしてから4カ月後くらいに、Yahoo!ニュースで、大人用のおむつの売り上げが子ども用のおむつを上回ったという記事を読みました。自分の経験から大人でも漏らすことがあるとわかっていましたが、この記事を読んで、世の中にはうんこで困っている人が想像以上に多いと知りました。ニーズは確実にあるので、ビジネスとしてもいけるだろうとは思いました。

【田原】そこが中西さんの面白いところだね。Yahoo!に載ったくらいだから多くの人が読んだと思うけど、ほかの人はビジネスにしようと思わなかった。

【中西】最初は自分も確信がありませんでした。当時、ベンチャーキャピタルでインターンをしていて、ビジネスのアイデアをいくつかプレゼンする機会がありました。排泄予知デバイスのアイデアはあくまでもその中の1つでしたが、代表の1人が興味を示してくれました。これはいけそうだなと思って、14年の5月に会社を立ち上げました。

【田原】開発はどうしたんですか?

【中西】いまわが社で技術部長をしている正森良輔に声をかけました。正森は中高の同級生。理系で、大学を卒業後はオリンパスで内視鏡の研究をしていました。そして本当に偶然なのですが、私と同じ時期に青年海外協力隊に行っていた。真っ先に顔が浮かんだのが彼でした。

【田原】正森さんは何をしていたの?

【中西】青年海外協力隊でパプアニューギニアに行った後、イギリスの大学院に。最初に声をかけたのはそのときです。帰国後は国際機関への就職を考えていたのですが、面接に落ちてフラフラしていたので、本格的に手伝ってもらうことになりました。