ミスをしてしまったとき、あなたはどのように謝るだろうか。適切な言い方を身につけていないと、謝罪が伝わらないときもある。明治大学教授の齋藤孝氏は、「謝罪には謝罪専用の言葉を使うのがコツ」という。効果的な謝り方とは――。

※本稿は、齋藤孝『大人の語彙力大全』(KADOKAWA)の第3章「気持ちよく聞き入れてもらえる、大人の言い訳・謝罪・お願い」を再編集したものです。

謝罪でしか使えない言葉であやまる

社会人の謝罪の言葉として、「すみません」は不向きです。それを「すいません」なんて言おうものなら、「学生か!」と突っ込まれることでしょう。

齋藤孝『大人の語彙力大全』(KADOKAWA)

「すみません」は、「いまのままでは済まされません」という意味なので、語義からすると謝罪の範疇に入ります。ですが、なぜ不向きなのでしょうか。

それは汎用性が高すぎるからです。

お店で店員さんを呼ぶにも「すみません」、道端でアンケートを依頼するのも「すみません」、高価なプレゼントをもらっても「すみません」。何かを頼んだり御礼を言ったりする場面でも使えるくらい一般的で汎用性が高いということは、ひとつひとつの場面での効力が弱くなり、言葉としての“重み”がなくなるのです。

つまり、「すみません」を謝罪の言葉として使うと、相手に軽くとらえられてしまうのです。

ではどうするか。謝罪には、謝罪専用の言葉を使うこと。謝罪でしか使えない言葉、謝罪でしか使わない言葉を使うのです。

「私の不徳のいたすところでして、たいへん申し訳ございません」
「ご迷惑をおかけいたしまして、恐縮の体でございます」
「このようなことになりまして、慙愧の至りでございます」

「申し訳ありません」だけではなく、その前に「不徳のいたすところ」をつけると、同時に反省の気持ちが伝わります。「不徳のいたすところ」とは、自分の至らなさゆえの失敗について反省の意を表明することで、謝りつつも、こんな自分が情けないというニュアンスが伝わります。

「恐縮の体」とは、身がすくむほどに恐れ入る様子。迷惑をかけて本当に申し訳ないという気持ちが、見た目にも表れている状態です。

「慙愧の至り」とは、反省して心に深く恥じ入ること。「慙愧」はもともと仏教語で、「慙」は恥じること、「愧」は人の表すことです。漢字からもその様子が伝わってくるので、書き言葉での謝罪にも効果的です。

これらは、謝罪と反省がセットになる言葉という点で、口火を切る言葉としては適切です。