「疑問点は即スマホ検索して解決」ではバカになる

聞いた瞬間、私は「あ、なるほど」と思うよりも先に「これは危ないな」と思いました。
なぜかというと、その若いスタッフはロゴの意味を手元のスマホで検索して答えていたからです。

同社のウェブページによれば、このロゴは<私たちのサービスで世界中の人々を喜ばせたい、楽しませたいという思いを込めて、「Delight」(人を大いに喜ばせる、うれしがらせる)という言葉と「DeNA」の共通の頭文字である「D」をデライト・マークにすることで表現しました>とあります。

スタッフの「回答」は正しい。でも、そこには思考力が働いた形跡はありません。グーグルの検索窓に言葉を入力し、クリックした結果を見ただけです。

▼正解のない問題でも意思決定できる力とは

私は、今、7つの会社の社外役員と5社の顧問をしています。社員12人ほどの小さな会社の経営者もしています。それらの会社の意思決定に多かれ少なかれ関与しています。経営コンサルタントとして、それ以外の会社の意思決定にも関与しています。

そうした際に、あらかじめ正解のない問題についても意思決定をしなければなりません。子会社を売却するのかそれとも合併するのか。A国に進出すべきかB国にすべきか。人員拡充かそれとも減員か。当然ですが、これからの個別案件をグーグルに聞いても答えは出てきません。意思決定するには、自らの頭を稼働させなければなりません。

ふだんの生活で、これは何か? なぜそうなのか? と感じることがあったとき、的外れでも、勘違いでもいいので自分で考える習慣が重要なのではないでしょうか。そうでないと、脳=思考力は確実に退化します。

好むと好まざるとにかかわらず人々の生活はより便利になり、「単純化」されています。一方で、社会の仕組みはより「複雑化」しています。本来は、複雑なことを複雑なままに考える「思考力」が必要ですが、ほとんどの人は「複雑化」のほうは無視するか放っておいて、「単純化」のほうだけ積極的に採用しています。これは怖いことです。「単純化」を採用する人は、考えるのをサボるので、当然、考える力が落ちていきます。逆に、複雑なことを複雑なままに考えられる人は思考力が少しずつ高まり、そのような人の脳の価値は以前よりも格段に上がっていく可能性があるからです。