親が「学校を休め」という身勝手と理不尽
子どもにとって「良い環境」を与えるだけでは、心のバネは育たない。跳び上がる力を持つことはできない。その証左として「悔しさをバネに」とは言うが、「うれしさをバネに」とは言わないだろう。バネとはとどのつまり反発作用なのである。
受験勉強も同じだ。「限られた時間」しか与えられないからこそ、子どもはその時間を有効に活用しようと懸命に学習に励むのだ。だから、親がよかれと考えた結果、子どもに学校を休ませ「時間」を与えれば、それは、そのバネの反発作用を抑止することと同義である。
「学校を休めば、たくさん学習できるぞ」という考えを持った子どもはつい油断して、危機感が薄れていく。その結果、学習時間を確保したつもりでも、その実は学習に集中できないケースが多い。時間を浪費し、入試が近づくにつれて、どんどん追い詰められていく子をたくさん見てきた。わたしの経験則でいえば、小学校を欠席する子ほど「不合格」になる可能性が極めて高い。
▼自分たちの「利益」ばかりを考える親の「罪」
「義務教育」の根本には、労働の担い手として酷使される子どもを救済しようという考えがある。1月に子を小学校に行かせず「受験勉強」を強いる親。そして、それに同調して有料講座を開設する塾。両者に共通しているのは、自分たちの「利益」だけを考えているところだ。すなわち、子を大人の都合で振り回し、酷使しているのだ。
わたしは中学受験専門塾の経営者であり、塾講師である。子どもたち一人ひとりが志望する学校に合格し、自らの手で未来を切り拓いてほしいという思いは人一倍ある。だからこそ、入試本番で子が全力を尽くせるよう、親も余裕を持って子を支えてほしい。
笑顔の春まであと少し。がんばれ、受験生。
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