勝つか負けるかの大一番。誰もが勝利を願うが、過剰な結果至上主義ではなく、本番までのプロセスを重視する姿勢こそが重要だと塾講師は語る。その神髄とは?

高校野球と中学受験「一脈通じるものあり」

先日、わたしの経営する中学受験専門塾のスタッフたちと神宮球場へ「全国高校野球選手権・東東京大会」の観戦に出かけた。観客席はほぼ満員。そこで観客の顔ぶれを見ると、出場校の関係者のみならず、わたしたちのような「一般客」も大勢いるようだ。きっとみな高校野球の魅力にとりつかれているのだろう。

筆者が神宮球場で観戦した、全国高校野球選手権・東東京大会予選「帝京高校」対「東海大学高輪台高校」(撮影=筆者)

観戦した試合は「帝京高校」対「東海大学高輪台高校」。ともに優勝候補校とされていて、すばらしい熱戦だった。結果は、延長戦の末に東海大学高輪台高校のサヨナラ勝ち。観客席からは両校の健闘をたたえる惜しみない拍手と声援が送られていた。ああ、やっぱり高校野球はいいなあ。

さて、高校野球と中学受験、この2つはさまざまな側面で一脈通じるものが多い。そのため、中学受験を語る際に高校野球の話を引用すると「なるほどなあ」とストンと合点しやすい。そんな話をここで紹介したい。

4012校中、1校のみが「合格」を重ねられる世界

高校野球は、中学受験と違って「合格」を重ねるのが難しい分野である。

考えてみれば当たり前のこと。今年の夏に「全国高校野球選手権大会」に出場する学校の総数は地方予選を含め4012校。最後の最後まで「合格」を重ねられる学校(=甲子園で優勝する学校)はたったの1校のみだ。つまり、4011校は早かれ遅かれ訪れる「不合格」に向かって一直線に向かっているのだ。

結果的に見れば、高校野球とは灼熱の太陽のもと、「極めて残酷な過当競争を強いられているスポーツ」と表現できるかもしれない。しかし、そんなシニカルな見方をする人などほぼ皆無だろう。

その証拠に、多くの子どもたちが野球に精いっぱい打ち込み、そして楽しんでいる。また、それを見守る周囲の大人たちが選手たちに向けるまなざしも温かいものだろう。

高校野球は「残酷さ」どころか、多くの人たちに爽やかな気持ちをプレゼントしてくれるものだ。先述したように、試合が終了したあとは選手たちに惜しみない称賛の拍手が送られる。「合格したチーム」にも「不合格のチーム」にも、だ。