転機となったのは「東日本大震災」

それにしても、なぜ急速に同社は力をつけたのか。小泉氏はこう明かす。

「良質なコーヒーづくりでは日本一の取り組みをする当社が、バリスタ大会では散々な結果なのが不思議で、自ら志願したのです。副社長(鈴木太郎氏)からは『JBCのチャンピオンをつくって。応援するから』――。何の条件も予算もありませんでした」(小泉氏)

イベントで交流する石谷貴之氏(右から2人目)と鈴木太郎氏(左端)。

2011年に起きた東日本大震災で被災した大洗の施設に、地元から懇願されたサザは、自らも本店が被災したなか、出店を決意する。それがバリスタチームの意識改革にもなった。

「大洗店の初代店長になった私は、茨城県が風評被害も受けるなか、サザコーヒーに必要なのは『立派な設備や豆だけではなく、志の高いバリスタ』だと思いました。そこで経験や立場に関係なくメンバーを募り、JBCのビデオを何百回も見た。度胸をつけるために駐車場で道路に向かってプレゼンもした。朝までみんなで語り合ったこともあります」(小泉氏)

これが躍進の原点だった。実績を積んだ現在は、家庭のある人や業務の立場も考慮し、個人の休みを組み合わせて「業務→バリスタ→休養」でトレーニングを行う。こう説明する小泉氏は、自らはつきっきりで見守り、喜びも苦しみも共有する。大会が近づくと“寝袋生活”になるが、各バリスタに聞いても不満の声は出ず、意識の高さが目立つ。

大会翌月には「優勝者と交流」

今回の快挙も「まだ頂点はとっていない。誰もこの結果で満足しているバリスタはいません」と断言する小泉氏。他者と交流しない「虎の穴」路線と思いきや、まったく違う。

JBC大会の翌月、東京・渋谷で行われたサザコーヒー主催のイベントで、筆者は鈴木太郎氏と小泉氏から次の言葉で、優勝者の石谷氏を紹介された。

「現在、最強のバリスタがこの人です」

勝者をリスペクトする姿勢に「グッドルーザー」(潔い敗者)を感じた。イベントには飯高氏と安氏も参加した。サザコーヒー創業者の鈴木誉志男氏(会長)は「ウチは情報を隠さない」と語るが、この姿勢にキーパーソンも集まり、交流することで進化できるのだろう。

高井尚之(たかい・なおゆき)
経済ジャーナリスト・経営コンサルタント。1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。
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