一見、繊細で鋭敏に思える人間の味覚は、意外と中長期的な味の変化には鈍感になる。こうした特性を利用して、塩分を消費者に気づかれないよう、こっそり減らしていけば減塩は可能とCASHは判断したのである。
20%も減塩されたことに気がつかなかった
この提案を受けて、大手パンメーカーでつくる業界団体が「それなら協力できる」と動き出した。これまで食塩の過剰摂取がもたらす健康被害に警鐘を鳴らしてきたCASHの粘り強い研究活動が、政府やメーカーを動かし、野心的な減塩プロジェクトが始動したのである。取り組みは、最初の年は2%の減塩から開始したものの、その後7年間かけて、最終的には塩分を20%まで減らすことに成功した。
実に大胆かつ慎重に進められた減塩プロジェクトだったが、それにしても、イギリス国民は本当にパンが20%も減塩されたことに気がつかなかったのだろうか。番組では、減塩済みのパンを提供し続けてきたロンドン市内のベーカリーを訪ね、利用客にインタビューを試みた。出会ったのは、この店で昔からランチを食べているというマーク・サミュエルさんだ。
「私は7年前からここでお昼ご飯を食べているけど、パンの味が変わったことには、まったく気がつきませんでした。私の健康状態は良好ですよ。きっと、いろんな食品が減塩されているなんて、みんな気づいていないと思いますよ」
こうしたイギリス政府の国を挙げた減塩政策は、目覚ましい成果をあげている。2003年から8年間で、国民1人当たりの1日の塩分摂取量は1g以上も減少。虚血性心疾患や脳卒中の患者にいたっては実に4割も減少した(図2参照)。これによって、年間15億ポンド(約2300億円)以上の医療費が削減できたとされている。
現在、イギリスでは、減塩プロジェクトの経験を活かして、砂糖の消費量を減らす試みが行われている。砂糖の摂取は虫歯の原因となるだけでなく、肥満にもつながるとされている。肥満は生活習慣病にも深く関わっているため、砂糖の消費量を減らすことができれば、医療費のさらなる削減ができると期待されているのだ。