「ベジ・ファースト」という食べ方

「健康寿命が都民の平均より約2歳短い」という情報は、足立区に「健康格差」が存在することを認めることになり、区のイメージ悪化につながりかねない情報である。しかし区は、この情報をあえて住民に伝えることで、危機感を共有してもらい、自発的な行動を促した。「不都合な真実」を明らかにし、そこから目を背けることなく区民全員に「健康格差」に向き合う道を選んで欲しいと促したのだ。

足立区の「健康格差」対策における一番の問題は、行政の声が届きにくい健康への関心が低い区民に健康になってもらうことだ。前出の馬場さんたちは、対策のアプローチを「行政の声がたとえ届かなくても、そうした人々が意識せずに健康的な生活を送れるようになること」に大転換し、政策のアイデアを出していった。

そのアイデアの一部には、これまでにないユニークなものも含まれている。例えば、区内すべての横断歩道を歩道橋にして、半ば“強制的に”歩数を増やしてもらおうといったものや、夜遅く食事やアルコールをとると体に脂肪がつきやすいため、区内すべての飲食店の営業を夜10時以降は禁止とするといったものだ。馬場さんは笑いながら述懐する。「あくまでも頭の体操として出したアイデアで、もちろんこんなことは絶対にできません。もしできたとしてもお年寄りや夜勤の人など絶対に困る人が出てきてしまいます。こうしたアイデアを出し続ける中で、重要なポイントとして、絶対的に困る人はいないのに、皆が自然に健康になれる糖尿病対策はないか、という視点が見つかりました」

そこで馬場さんたちが目をつけたのは、足立区民の野菜摂取量を増やすことだった。平成26年2月に行った調査では、足立区民の1日当たり推定野菜摂取量は平均254g。これは国が示す目標摂取量に100g程度不足していた。これを一気に引き上げようと考えたのである。

「糖尿病」の中でも、生活習慣病とされる「2型糖尿病」は、カロリーの取り過ぎや運動不足が原因といわれている。栄養面のバランスの改善には野菜を多く摂取することが推奨されている。例えば野菜に含まれているカリウムは、食塩に含まれるナトリウムを排斥する効果があることから、塩分制限を必要とする高血圧の人にすすめられる。また、脂質異常症(高脂血症)やコレステロール値が高い人は、野菜の繊維をたくさん摂取することで、脂の吸収を抑えることができるなど、さまざまな面で野菜の効果がわかってきている。

くわえて、野菜を最初に食べれば血糖値の急激な上昇が抑えられるので、高血糖状態による血管の損傷を予防できることもわかっている。図3は、食事の前に「野菜」と「炭水化物」をそれぞれとった場合の食後血糖値の変動を比較したグラフだ。炭水化物を先にとると、血糖値が急激に上昇するのに対して、同じ食事でも野菜を先にとると血糖値の上昇は、炭水化物の70%程度に止まる。野菜に含まれる食物繊維が、糖分の摂取を遅らせるのだ。研究を主導した京都女子大学教授で管理栄養士の今井佐恵子(いまい・さえこ)さんによると、野菜を先に食べてから炭水化物をとるまでに少なくとも10分以上時間をおくことがポイントになるという。この方法は「ベジ・ファースト」と呼ばれ、気軽に実行できるため広く用いられている食べ方だ。

馬場さんはこうした事実に注目し、本人が気づかないうちに、野菜の摂取量を増やしてもらう作戦を始めた。その作戦の中核となるのが「野菜を食べる生活」にちなんだ「ベジタべライフ協力店制度」だ。これは、区内の飲食店や商業施設を対象に、野菜摂取を呼びかける区の活動に賛同する店を増やそうという試みだ。協力店舗数は、今年3月時点で608店。野菜を販売している青果店やスーパーマーケット、惣菜店、食前にミニサラダを提供しているレストランや居酒屋、ファミリーレストランなど、さまざまな業態の店舗が協力店に名を連ねている。協力店では、以前より野菜をより多くとることができたり、先に野菜を食べる「ベジ・ファースト」を実践している。馬場さんたち足立区役所の職員が、店舗を直接訪れ、一軒一軒協力店への登録を呼び掛けた。