華美も贅沢も質素も一つのライフスタイル
以前、学校見学をさせていただいたスウェーデンのゴットランドにある公立高校では、授業中のアクセサリー着用が禁止されていた。しかし、華美がいけないからではない。授業中に音がしたり、きらきら光ったりすると、本人も他の生徒も集中できず、授業の邪魔になるからだ。従って、休み時間にアクセサリーをつけることは認められている。生徒たちは、教室に入ると、アクセサリーを一つ一つはずして所定の皿に入れ、それを先生が預かる。授業が終わってからまた一つ一つつけて、次の授業の教室に行き、また一つずつ外す。
毎回それをやるのも、それにつきあう先生方もご苦労なことだと思ったが、本人の意志を尊重し、いろいろな価値観を認めるという意味では素晴らしい。「華美はいけない」「こんなものをつけて授業を受けるなんて」という先生はいないし、ましてや「華美に走る不良学生」などという認識も、どちらにもない。
華美も贅沢も質素も一つのライフスタイルだ、ととらえられる下地の上であれば、断捨離の実践者が偉くて、それができない自分は恥ずかしいなどという発想は出てこない。断捨離がいいという価値観もあれば、物がたくさんあってもいいではないか、ついでに言うならば、物がたくさんあっても、必要なときに必要な物が取り出せればそれでいいのではないかという価値観がベースにある社会でのミニマリズムは、日本の道徳観の絡(から)むミニマリズムより、ずいぶんと気軽なライフスタイルに見える。
※1:https://bemorewithless.com/the-downside-of-minimalism/
※2:http://www.theminimalistmom.com/2017/05/what-my-sons-disabilities-have-taught-me-about-minimalism/
翻訳家、ナチュラルライフ研究家
1961年東京都生まれ。1984年国際基督教大学卒業。繊維メーカーや証券会社で翻訳や調査に携わったあと、フリーの翻訳者に。とある本の翻訳をきっかけに、重曹や酢などの自然素材を使った家事に目覚め、研究を始める。2002年、『キッチンの材料でおそうじするナチュラル・クリーニング』(ブロンズ新社)を出版。以降、掃除講座や著作活動を展開中。2016年上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士前期課程修了(修士号取得)。