それでは9条2項は何を目指しているのか。2項は、前文でうたわれた国際協調主義の精神にしたがって、1項で禁止した国際法を逸脱して戦争を行うことを、念押しして徹底した条項である。1項以上に、現代の平和主義国家・日本においては、実質的な意味を失った規定であると言える。1項を削除しても国連憲章を遵守すれば十分なので、2項を削除しても何も失うものはない。

ただし第2次世界大戦後の72年間の歴史の歩みを、今後も精神的な支柱として維持するのであれば、2項を維持することにも意味があるだろう。あるいは2項を削除する事の意味を誤解されないほうがいい、という言い方でもよい。

憲法学者の無理解と言い換えが倒錯を生む

2項が禁止しているのは、「戦力」と「交戦権」である。「陸海空軍その他の戦力」の「軍」の部分だけを切り取る解釈もあるようだが、ここで言われている「軍」は「戦力としての軍」等という例示であげられているにすぎず、禁止されているのは「戦力(war potential)」である。

「戦力(war potential)」について、憲法学者の方々は、ある意味では、とても広範に解釈される、と懸念してきた。原子力発電所はもちろん、自動車工場や電機部品工場も、拡大解釈では「戦力(war potential)」だと言えるからだ。自衛隊は「戦力」だが、自動車工場は「戦力」ではないと言い切る作業は、「フルスペックな軍隊」云々といった新規な概念を振りかざす憲法学者の判断に委ねる、という基準で行うべきではない。

「戦力(war potential)」は、「戦争(war)」が国際法では禁止されていることにてらして、戦争をするための潜在力のことだと理解するのが、もっとも素直だ。「戦争」をするつもりがない組織が、「戦争」に使うことを意図せず保有するものは、自衛隊であれ、自動車工場であれ、「戦力(war potential)」だと見なす必要はない。

自衛権を行使するために武力行使の範囲の行動までとる準備をしている自衛隊を維持するのは、国内治安のために武力行使の範囲の行動までとる準備をしている警察機構を維持するのと同じで、「戦力(war potential)」に該当しない。9条2項は、警察も自動車産業も禁止しておらず、同じように自衛隊も禁止していない。

実は日本政府公式見解でも、自衛隊は憲法上の「戦力」ではないが、国際法上の「軍隊」であることが、認められている 。その解釈を固めていけばよい。(*2)

憲法学者の方々が、「自衛権の行使」を「自衛戦争の留保」と勝手に言い換えることによって生まれる誤解が、日本社会に蔓延している。しかし、日本の「憲法学」で、国際法の概念である「自衛権」を理解しようとする倒錯した習慣は、やめるべきだ。そうすれば、すべてが簡明になる。日本人の「ガラパゴス」性も改善される。