「交戦権(right of belligerency)」とは何か。国家の基本権なるものを振りかざして、国家には自己保存のために戦争をする権利がある、などとする思想のことである。現代国際法では廃止されている。日本の「憲法学」の中にのみ存在している概念である。

かつて明治時代に日本が近代化を図り、ドイツ帝国をモデルとし、プロイセン憲法を模して大日本帝国憲法を制定した時代であれば、戦争は国際法における制度であった。戦争とは、主権国家が正式に宣戦布告をすると発生するものであるとされた。しかし国家には自己保存のために自らを守る自然権的な基本権がある、といった19世紀ヨーロッパ国際法、あるいは日本の「憲法学」の論理構成は、20世紀に確立した現代国際法では否定されている。戦争は一般的に違法であるので、「交戦権」も当然に否認される。

9条2項はただの「念押し」である

長い間、憲法学者たちは、「9条1項で戦争を否認しているのに、2項でさらに「交戦権」を否認しているのはおかしい、何か別の意味があるべきだ」、などといった自己中心的な世界観にもとづいて、曲解を繰り返してきた。1項との重複をなくす、という技術論的な発想で、「交戦権」は交戦者が持つ権利一般のことだ、などと解釈してきた。その結果、国際人道法との関係がおかしくなったとしても、そんなことは1項と2項の重複をなくす必要性と比べたらとるにたりないことだ、といった無責任な態度も示してきた。

9条2項は、国際法を遵守するための規定である。第2次世界大戦の記憶があり、ややしつこいくらいに念押しされている。そういう淡々とした素直な読み方をすれば、2項にも何も不思議なところはないのである。

ちなみに20世紀後半に成立した現代国際法とは、アメリカ合衆国が大きな影響力を行使して成立したものである。国際連盟規約、不戦条約、国連憲章によって生み出された19世紀ヨーロッパ国際法の変質は、アメリカの超大国としての台頭によってもたらされた現象であった。アメリカは19世紀においてすでに、モンロー・ドクトリンの秩序を西半球=新世界で標榜し、集団安全保障、主権平等、民族自決といった、ヨーロッパ人が知らなかった法規範を、普遍化させていく基盤を作っていた。言うまでもなく、集団的自衛権もそうである。